自分の才能を知ると得られる「棚ぼた」の話

前回は、「才能」とは「当たり前」にできること、というお話をしました。

 

自分が当たり前にできることって、

それが誰にとっても当たり前だから自分にもできている、のではなく、

自分にその才能があるからこそ自分には当たり前にできる、のです、

というお話でした。

 

で、この、自分が当たり前にできちゃっているそれは才能があればこそ、ということに気づくと、嬉しい「棚ぼた」が落ちてきます。

というお話を今日はしようと思いました。

 

結論から言うと、その棚ぼたとは、人にイライラしにくくなる、ということです。

 

イライラする場面でよくあるのが、

「こんなの『当たり前』のことなのに、どうしてあなたにはそれができないの?それをやらないの?」

というのがありますよね。

 

ここで、実はこの「当たり前」が、自分にその才能があるからこそ「当たり前」だと思えるのかも?という視点が持てると、

「そうか、これはこの人の才能ではないし、当たり前ではないのかも。そしたら、私の才能をこの人にもあるはずと期待するのはそもそもおかしなことだったのかのかも」

ということに気づけるようになってきます。

すると、相手にとっては当たり前ではないことを期待して、それが叶わずにイライラする、ということがぐっと減らせるんですね。

これ、お気づきと思いますが、本当に楽!です。

とてもおいしい棚ぼただと思いませんか?

 

(ちなみに、「当たり前」の中には「社会的な常識」「普通は正しいとされていること」みたいなこともたくさんあります。例えば「責任感」なんてその例ですね。

これは個人の才能とはまた別の話のような気がしますが、その「責任感」をどんな方法でどこまで発揮・表現するかは、各人各様ですよね。

その意味で、ここでは常識とか正しさなども「才能」の一つとして見てみることを提案しています。)

 

で、実はここには、さらにもう一つの棚ぼたがあります。

それは、人の「才能」にも気付きやすくなる、人が好きになりやすくなる、ということです。

 

今まで自分の中で当たり前としてスルーしてきたことが「才能」として認識できるようになると、今度は自分だけでなく周りの人の「才能」も見えるようになってくるんですね(心理学では「投影」と言います)。

つまり、「あぁ、これはこの人の才能なんだな、これはこれで素敵なことだな」と、相手を批判的な目ではなく、まったく違う角度から肯定的な目で見ることができるようになるのです。

イライラしにくくなるどころか、人がもっと好きになれたら、世の中が相当生きやすい場所になりますよね。

 

そうやって、自分の才能に気づき、人へのイライラを減らし、さらには人の才能にも気づいて肯定的に見てあげられるようになってくると、

ま~、私ったら、こんな風に自分や人を見ることができるようになって、大人になったわね…☆

と、さらに自己肯定感を感じられるようになります。

まさに、良いことづくめなのです♪

 

もちろん、例えば体調や気分が優れず落ち込んでいたり、相手にたくさんのネガティブな感情があったりすれば、なかなか思うように視点を切り替えられないことはあります。

なのでこれも、完璧にやろうとする必要はありません。

試しに、できるところから、ちょっとそんな目線を取り入れてみようかな?と、意識してみるところから始めてみてください。

そうやって、自分や他人の中に見える「才能」が増えるたびに、自分に余裕ができて、世界がほこほこした場所になっていくのが感じられると思います♪

 

(それから、なかなか視点が切り替えられないようなネガティブな思いがたくさんあるときは、よろしければお話聞かせてくださいね☆)

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

これはまだ少し葉っぱが残っていた晩秋の風景。