「頑張った自分にご褒美をあげる」の悲しいカンチガイの話

今回は、

「頑張った自分にご褒美をあげる」の悲しいカンチガイの話

というタイトルにしました。

 

いえ、頑張った自分にご褒美をあげるのは、とっても素敵なことです。

いろいろ頑張ったんですから、ご褒美をあげて当然ですよね。温泉に行ったりショッピングしたり、嬉しいご褒美をどんどん自分に与えてあげましょう。

特に、今までどんなに頑張ってもご褒美を自分に与えるという発想さえなかったのだとすれば、「頑張った私、えらい!」と認識できるようになり、更にはご褒美まで自分にあげられるようになるのはとても大きな進歩です。

なので、頑張った私へのご褒美、どんどんあげてくださいね。

こうやってご褒美をあげることは、「私はあなたがどれだけ頑張ったかをちゃんと分かってますよ」というメッセージを自分自身に伝えることになります。

そんな風に自分で自分を認められるようになることが、自己肯定でもありますよね。

 

なんですが。

「頑張った自分にご褒美をあげる」という考え方には、またまたちょっとトリッキーなところがあるんですよね。

というのは、場合によっては、「ご褒美がないと頑張れない」という体質になってしまったり、あるいはもっと怖いのは、「頑張った自分にしかご褒美を与える価値はない」という悲しいカンチガイを自分に刷り込んでしまうことにもなりかねないからです。

というか、既にそういう感覚でいる方も結構いらっしゃるのでは?と思いますが、どうでしょう。

 

確かに、頑張った自分にはご褒美をあげる価値があります。

というか、もっと厳密に言うなら、「自分の頑張りを過小評価せずにきちんと認めてあげるために、ご褒美という分かりやすい手段を使ってあげる」価値があるということですね。

 

でも、です。

頑張ってない自分にも、ご褒美をあげる価値はあるのです。生きているだけで、存在するだけで、あなたの存在自体にご褒美をあげる価値はあるのです。

なら、何も頑張った時だけに限定しなくても、

「なんか今日はご褒美もらっちゃいたい気分だから♪」
「何も理由はないけど、私はついご褒美をあげたくなっちゃう人だから♪」

でご褒美をあげちゃえば良いんですよね。

ちょっとおバカっぽい感じがしますが笑、頑張り屋さんはちょっとおバカになるくらいが一番バランスが良いと思っています。

「なんか、何もしてないのに自分にご褒美あげちゃって、バカだな私ー!」

と笑い飛ばせるようになったらこっちのものです。

 

これ、実際やってみると本当に抵抗を感じるはずです。

「頑張ったからこそご褒美がもらえる」という理屈に頭が支配されているときは、

「一日中だらだらしてた自分がご褒美をもらうなんて、間違ってる」
「失敗をした私がご褒美をもらうなんて、間違ってる」
「ただ楽しく休日を過ごした私がご褒美をもらうなんて、間違ってる」

などの抵抗感がわんさか出てきます。

それから実は、

「なんかあんまり効果がある気がしないし、やらなくていいかな」

というのも、この抵抗感の現れです。

 

この抵抗感が、まさに「頑張っていない自分には価値がない」という感覚によるものなんですね。

なので、抵抗感を感じたら、

「あぁ、まだ私は頑張らない自分には価値がないと思っているんだなぁ。可愛いなぁ」

と頭をなでなでしつつ、そこでまた、

「そんな風に抵抗を感じている自分が可愛いから」

と、ご褒美をあげます。

抵抗を感じながらもやってみるなんて、もう何かの修行みたいですね笑(でも、「修行」と言ったらむしろ頑張り屋さんは取り組みやすかったりして)。

これ、続けると、じわじわと自己肯定感(厳密には自己価値感)が感じられて、心の中にじんわりとした温かさを感じられるようになっていきますので、本当におすすめなのです。

取り入れてみてほしいなぁと思っています。

 

頑張った自分にはご褒美をあげる価値がある。

頑張ってない自分にもご褒美をあげる価値は同じようにある。

この両方のメッセージを、ご褒美を通じて自分に伝えてあげましょう♪

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

これはアムステルダム国立美術館。

真ん中を通り抜けることができ、通勤・通学の人が自転車で走り抜けていきます。