今回は、
「自信」について改めて考える
というタイトルにしました。
動画セミナーを見てくださった方は、第4回目のレッスンで「自信」についてお話しているのをご覧いただいていると思いますが、今回はまた別の視点で書いてみようと思いました。
自信て、どんな要素からできているかというと、すごく大雑把に言えば、
自分の過去を承認し、
自分の現在を承認することで、
自分は今もこれからも「なんか、これでいいんだわ、だいじょぶだわ」と思える状態
じゃないかと思います。
(もちろん、「自分の過去」には「あの時の自分」も「この時の自分」もいます。なので、「自分の過去」と一言で言っても承認する範囲の全体像はだいぶは大きいです。)
で、動画セミナーではこのうち「自分の現在を承認する」方法を簡単にお話しています。
それからもう一つ言うと、先日のオンラインセミナーでは「自分の過去を承認する」ということをやったのでした。
こうやって書いてみると、結局、「自信」とは健康に自己肯定・自己承認ができている状態、ってことなんですよね。
能力とか経験の量とか褒められた回数とか賞を取った回数とか「すごいね」と言われた回数とか、そんなのは全然関係ないのです。
というか、それだったら頑張り屋さんはエベレストのように高い自信を既に持っているんじゃないかと思います。
でも、どんなに頑張ってもなぜか自信につながらない。
それはまさに、「承認」が足りないからだと、私自身の経験からも思うのです。
「こんな資格があっても意味ないし」
「こんな賞には何の権威もないし」
「みんなこれくらいできるし」
「みんなこれくらいやってるし」
こんな自己否定、自覚ありませんか?これは、過去に頑張ってきたことを否定し、現在の能力を過小評価していますよね。
すると、過去も現在も承認できるものが何もない状態で迎える未来が「だいじょうぶ」になるとはとても思えません。
これが、頑張り屋さんが自信を感じられない大きな理由だと思います。
というわけで、いつの通り、自己否定は止めましょう、自分を承認してあげましょう、肯定してあげましょう、という話になるのですね。
…というところで終わっても良いのですが、それだとなんだか芸がなくてつまらない気がするので今日はもう一声。
自己否定を止めるための、考え方のコツをお話します。
それは、
「自分で思っていることは、『事実』ではない。たくさんある『捉え方』の一つ。」
ということです。
たとえば、「こんな資格があっても意味ないし」というやつ。
「意味ない」と考えているのは、私自身、なんですよね。私がそう「捉えている」というだけです。「意味ない」のは事実ではありません。
「こんな賞には何の権威もないし」
これも上の例と同じですね。「何の権威もない」と考えているのは私だけ。私がそう「捉えている」だけです。
「みんなこれくらいできるし」。
「みんな」の範囲は、私が見聞きした範囲でしかありません。
小学生の時、お母さんに「みんなこれくらいお小遣いもらってるもん!」という時の「みんな」って、まぁ3~4人くらいではありませんでしたか?そして、今考える「みんな」の範囲も、意外とそれくらいではありませんか?その3~4人の話が世の中全てに当てはまるというのは考えにくいですよね。
それから、「これくらいできる」のも、実に主観的です。
「みんなこれくらいやってるし。」
これも上の例と同じです。自分の目に見える範囲の人がやっていることを、私が主観で「これくらい」と思っているだけです。
つまり、自己否定している時の根拠って、自分のとても主観的な「捉え方」でしかないんですよね。
自分にとってはとても説得力があり、「事実」だと誤解してしまうくらいパワフルなのですが、でも「事実」じゃないのです。
なので、自己否定を止めて、自己承認をしようとする時の考え方として、
「こんなの大したことない」という、自分の主観的な思いにまずは気付き、
それ、事実だったっけ?私がそう思い込んでるだけじゃない?
と、自分に思い出させてあげられると良いな、と思います。
それから、実はもう一つ言うと、まーったく自信のない人でも、唯一ものすごく自信がある時があります。
それは、自分を否定するとき。
自分で「いえ、こんなの全然大したことないです」って言う時って、誰かが「そんなことないよ、すごいよ!」と言ってくれても絶対折れない自信ありませんか?
「誰が何と言おうと、こんなの全然大したことないんです。すごいと言ってくれちゃうあなたたちが間違ってるんです。どこ見てるんですか?」くらいの。
嗚呼、この根拠のない自信はどこから来るの!笑
この自信を、「私って根拠は何もないけど素敵なんです(はーと)」と言う時にも使いたいものです。
こう考えると、「自信がない」ということ自体が、場合によって実に流動的に変わっていることが分かります。
それくらい、「自分自身についての理解」も含め、自分が見て感じている世界って主観と思い込みでできています。
自分をそんなにもちっぽけに見ているその見方も、事実ではなく、自分がその「捉え方」を選んでいるだけなのですよ☆
参考になればうれしいです。
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閑話休題。
ある日のこと、自転車の車輪が一つだけ「駐輪」してありました笑