「手放す」だけが「成長」じゃないという話

今回は、

「手放す」だけが「成長」じゃないという話

で、つらつらと考えていたことを。

 

例えば私は「頑張らない生き方」と銘打って日々発信したりカウンセリングやセミナーをやったりしています。

基本的にはその通りなのです。

今まで無理してすっごく頑張ってきましたよね、でもそうやって自分に無理させるのはそろそろ止めませんか?

というメッセージはいつもあります。

 

なんですが、「頑張ること」を一切合切手放す必要も、ないんですよね。自分の揚げ足を取っているみたいですけれども。

先日も書きましたが、頑張り屋さんは、「それだけ頑張れちゃう」のも才能でもあるわけです。

なので、「もう頑張るのは全部手放さなくちゃ!」とやるのは、自分の「頑張れちゃう」才能を否定することにもなります。すっごくたくさん頑張ってきたこれまでの人生を否定することにもなります。

それはちょっと、切ないじゃないですか。

 

本来は巨大なエネルギーを持っていて普通にしてても頑張れちゃう私も、
他人にエネルギーを使いすぎたためにもう頑張りたくない私も、

全部、私、なんですね。

 

なので、それだけ頑張れちゃうほどのエネルギーを、自分を幸せにするために遠慮なく使えるようになれば良いのよね!と思います。

その「遠慮」をなくすプロセスが、自己肯定を積み重ねること、自己価値を感じまくること、でもあります。

 

そんな意味で、手放すべきは

「頑張らない私は存在してはいけない」

という思い。そして、この思いを手放すからと言って、

「もう頑張っちゃいけない」

わけではないことも、心に留めていただけたら嬉しいな、と思います。

 

こう、例えていうなら、

素晴らしい俊足の競走馬が、これまでは大きな石がゴロゴロした道を、大したケアもなく荷物まで背負って無理やり走らされていた感じ。

お馬さんは従順なので、命令されれば走れてしまいます。でもそれはこのお馬さんが幸せな走り方ではありません。

でも本来このお馬さんは、走ることが大好きな訳です。その俊足を大いに使って走りたいのです。そのエネルギーはいつも身体の中にあるのです。

なので、

「もう走らない!」

のではなく、

「最適な環境や条件で存分に走らせてあげる」

方が、このお馬さんはよっぽど幸せですよね。

(…あれ、例える意味あったのかな?笑)

 

という感じで、今日はちょっとつらつらと書いてみました。

素晴らしいサラブレッドな皆さんに届きますように。

閑話休題。

お花の溢れる街角です。

オランダは昨日まで3日間ほど暑い日が続いていましたが、今日は少し涼しくなってほっと一息です。