今回は、私がYa☆oo知恵袋で大失敗した話です。
私は母との間に長い間わだかまりを抱えていたという話はこれまで何度か触れた通りです。
で、母への怒りでもう気が狂いそうと感じていた時期があるんですね。
ただ、まだ最初の時点では、カウンセリングを利用したり心の勉強をしたりという発想がありませんでした。そんな選択肢があることも知らなかったのです。
それから、友人に、般若の形相をしながら母への怒りを話す気にもなれず(そもそもそこまで近しい友人付き合いもあまりしてこなかったというのもあります)、一体どうすればこの怒りを解決できるのか、と途方に暮れていました。
そんな風にして「誰か、お願い誰でもいいから私の話を聞いて。私の気持ちを理解して。どうしたら前に進めるのか教えて」とさんざん彷徨いました。
でも、周りには誰もいない。
誰か。誰でも良いから。
その結果、辿り着いたアイデアは、
Ya☆oo!知恵袋で聞いてみる!
でした。なんて独創的なアイデア~!笑
みなさんYa☆oo!知恵袋って使ったことありますか?
私は当時も今も知恵袋のヘビーユーザーではありません。というか、後にも先にも実際に使ったのはその1回で、その後は覗いてみることもしていません。
で、万が一にも、どこかの誰かに身バレしては嫌なので、知恵袋のID作成のためだけのメールアドレスを作り、IDを作りました(もうそのIDも忘れてしまいましたが。。それから今もこのやり方ができるのかは分かりません)。
そして、緊張に震えながら質問を投稿したんですね。
正確な文章は忘れてしまいましたが、こんな感じの内容でした。
「30代後半の独身女性です。母への怒りが止まらず苦しいです。
あの時言われたあんなこと、こんなこと。どうして母だからとこんなことが娘にできるのでしょうか。
どうしたらこの怒りを乗り越えていけますか。アドバイスください」
これに対して、付いた回答は2件ありました。
お一方は、ご自身も母親に苦しんだ女性でした。
この方がおっしゃったことはほとんど忘れてしまいましたが、一つ覚えているのが、「母は厄介です」という一言。
これは当時の私は救われたんですよね。
「そうか、そもそも母は厄介な生き物なのか。それが普遍的な事実なら、私の苦しさもまぁ仕方ないのかもしれない」
のように、「そういうもんだ」という視点が得られたことで、怒りがほんの少しだけ、一時的に和らいだのでした。もちろん根本的な解決にはなりませんでしたけれどね。
で、問題はもう一つの回答です。こちらが「大失敗」だったと思う理由です。
この方は男性で、やはり親御さんとの間に葛藤があったらしいのですね。で、こんな回答でした。
「いい齢して何言ってるんですか。
僕は長らく酷い両親に苦しめられましたが、あなたくらいの年齢の頃には既に乗り越えていましたよ。
(以下、自分がどれだけ精神的に成熟しているかの自慢話と私へのお説教)」
イイ感じに頭にきますでしょ?!笑
いい齢してしょうもないことで怒っていることは本人も頭では百も承知しているんですよね。でも、心がそれについてこないから何とかしてその解決策を探して、勇気を出して質問を投稿したわけです。
欲しいのは「アドバイス」とか「共感」で、「お説教」ではありませんでした。
たまたま最初の女性は、少しの「共感」をシェアしてくれました。それはとてもラッキーだったし有りがたいことだと思います。
でも、2つ目の男性の回答で、私の怒りはまたMAXを超えましたね笑
そして同時に、「でもそうだよな、私はいい齢して本当に何をやっているんだろう」とさらに惨めさを募らせ、負のスパイラルにさらにはまり込むことになりました。
謙虚な頑張り屋さんたちも、私がそうしたように、多分最初の女性の回答はさらっと受け流し、男性の回答の方をとても真剣に受け止めると思うんですね。
「そうだ、いい齢してこんな不平不満を持っている自分は人間としてなってない。こんな自分ではだめだ」
という風に、この男性の回答を使って「自分いじめ」や「要らない修行」を始めてしまうのです。
でもそれ、何も解決しないし、何ならこじれたものをさらにこじらせるだけ、問題を悪化させるだけ、なんですよね。
本当に問題を解決して人生の次のステージに進んでいくことが目的なら、どんな年齢でどんなしょうもない(と本人が思う)理由で怒ったり悩んだりしていても、それを乗り越えるために必要なアドバイスや考え方を見つけるべきです。
そこでのお説教は、自分いじめの目的以外、何の役にも立ちません。
(この意味で、「私は今、何をしたいんだろう?何が目的なんだろう?」と自分に確認するのはとても大事です。)
その後、私は知恵袋のこの経験で、
「あぁ、誰でも良いからアドバイスくださいと言っても、そんなに都合よく自分に必要なアドバイスが得られるわけないな、今の自分に必要なことをちゃんと提供してくれる人をしっかり探そう」
と考え方を変えました。
その意味では、この男性の回答がこれに気づかせてくれたとも言えるので、ある意味「大失敗」ではなく「大成功」だったのかもしれません。
でも、まぁ、こんな経験はしないで済むならしないに越したことはないですね。
(ちなみに、今はこの男性には何も怒っていないですよ。
恐らくこの方も、本当にたくさん自分を律して自分にお説教もしてその境地に辿り着いたのでしょう。だからこそ、まだうじうじとやっている私の姿に「もっとしっかりしろよ!」と言いたくなったのだと思います。
当時の私にはそうやって思いを馳せる余裕はなく、「しっかりしろ!」が効く心の状態でもなかった、ということですね。)
というわけで、今、心の中にたくさんのものを抱えていて、誰かに聞いてほしい、助けてほしいと思っているなら。
その相手は、是非わがままに「選んで」くださいね。それは「甘え」ではなく、苦しさを抜け出すという「目的」のための当然の手段です。
そしてその時に、セッションも選択肢の一つとして考えてみて頂けたら嬉しいな、と思っています。
ご縁を感じられましたら、是非お話いたしましょう♪