愚痴を言える相手、いますか?

今回は、

愚痴を言える相手、いますか?

というタイトルにしました。

 

皆さん、日ごろから周りの人の愚痴には親身に付き合ってあげているんじゃないかと思うのですよ。

「なんか今日は疲れたな」と思っていても、相手に頼られたら放っておけないのでついしっかり聞いてあげて、相手はすっきり、自分はぐったり、とか、ありませんか?

 

我慢しいの頑張り屋さんは、モヤモヤすることがあっても、

「こんなしょうもないことを誰かに愚痴るなんて、自分の人間ができていないし、聞かせる相手にも申し訳ない」

なんて思って、傷ついても自分の中で処理しようとしてため込んでいくんですよね。

でも、そうやって我慢して自分の心をモヤモヤさせ続けるのは、これまた「自分いじめ」です。頑張り屋さんて、こういう自分いじめをしょっちゅうやっているんですよね。

 

それは、そろそろ止めちゃいましょう。

自分の愚痴も、ちゃんと聞いてくれる相手を見つけましょう。

自分の愚痴を話せるように、心を開く練習もしていきましょう。

「私も、自分のモヤモヤした心の内を誰かに聞いてもらっていい。そのために助けを求めて良い」という許可を自分に出してあげましょう。

これ、何でも自分の中に溜めこんで一人で解決しようとしがちな頑張り屋さんには、すごく大事なことです。

 

私も、以前よりずっと上手にモヤモヤの対処ができるようになりましたが、それはこうやって人を頼れるようになったから、というのもとても大きいんですよね。

私も誰かに愚痴を聞いてもらっていいし、聞いてくれる相手がいる。何でも一人ぼっちで解決する必要はない。だから、この先またモヤモヤすることがあっても、まぁ大丈夫だわ。

そんな風に思えるようになりました。この安心感は本当に大きいです。

 

もちろん、些細なことで傷つかない心のあり方もたくさん学んだし、それもとても大事です(要は、自分の心の中で完結させる方法ですね。今までにもどこかで書いたことがある気がしますが、またいろいろ書いていきますね)。

でも、それだけでなく、同時に「全部一人で解決できなくていい。人を頼っていい」という許可も自分に出せるようになったのが良かったな、と今は思っています。

人間関係の中で傷ついたことは、人間関係の中で癒せば良いんですよね。

 

こういう話をすると、

「でもでもでも、自分が誰かに愚痴ったり頼ったりするのはやっぱりできない…」

という方もまたいらっしゃると思います。私も最初はそうだったので、良く分かります。

その許可が出せないのは、つまるところ、

「私が人を頼るなんて、愚痴を聞いてもらうなんて、迷惑なだけ」
「私の気持ちなんて、聞いてもらう価値はない」

という、切ない自己イメージがあるからなんですよね。自己価値があまり感じられていない状態とも言えます。

この、自己価値を感じるいろんな方法も、今までにも書いていますが、今後もまた手を替え品を変え書いてみますね♪(あと、魅力や価値を見つけるセミナーというのも企画しています。)

 

でも、ひとまず今日のところは、試しに

「私も、誰かに愚痴を聞いてもらっていい。」

と、声に出して自分に言ってあげませんか。

「私のモヤモヤした気持ちも、聞いてもらう価値がある。」

と、言ってあげませんか。アファメーションにして毎日ぶつぶつ唱えても良いですよ。

信じられなくてもOKです。「なんか良く分からないけど、価値があるらしいよ?」と他人事のような感覚で自分に伝えるのでもだいじょうぶです。

是非今、こっそり声に出して言ってみてください。自分がそう言っているその声を、自分の耳に届けてみてください。

 

だって実際、信じるかどうかに関わらず、あなたのモヤモヤだったり傷ついたりしたその「気持ち」には、丁寧に聞いてもらってケアしてあげる価値が、間違いなくある、のですもの。

ちょろっと自分に「そうらしいよ?」と伝えてあげることくらいは、やってみても損はないですよね☆

 

参考になればうれしいです。

閑話休題。

街路樹から陽の光が落ちる様子がとても好きです♪