「魅力」セミナーって、胡散臭いですよね。
って、いきなり自己否定(笑
「そうやってきれいな言葉で人を釣ってお金稼ぎするんでしょ?詐欺だよね。」
私がずっとそう思っていたので、良く分かるのです、この胡散臭さ。
なんでこんなに胡散臭く感じるんでしょうね?
「魅力」やら「価値」なんて、自分みたいに絶対ない人もいるのに、さも「ある」かのように希望を持たせて、そんな素敵なものなんか絶対ない人からお金を巻き上げているから?
以前の私が思っていたのはこんな感じでした。
つまり、私は自分のことを
「魅力や価値なんか、絶対、これっぽっちもない人」で、
「それは誰よりも自分が一番良く知ってる」
と思っていたのです。
で、そう思っている時って、ポジティブな話は例外なく胡散臭く聞こえるものです。
「絶対騙されないぞ」
って全身を鎧で固めてますからね。
頑なに、自分には絶対何の魅力も価値もない、と思っていればいるほど、
「あなたには必ず魅力があるんですよ!」
なんて言われても、
「そういう心の痛みに付けこんでお金儲けをするなんて、君たちは良心をどこに忘れてきたんだい?!」
って思っちゃいますよね。
そんな風に自分の価値や魅力を強く否定するようになった背景には、そうせざるを得なかった悲しい出来事があるものです。
思春期にクラスメートからバカにされたことがあるのかもしれません。
親から否定され、深く傷ついたのかもしれません。
その悲しさを二度と感じたくない。
だから、私は自分に価値や魅力があるのかも、なんていう幻想はもう持たない。
と、決めたんですね。
そうやって鎧を着こめば、自分を守ることができるから。
つまり、「魅力セミナー」を「胡散臭いもの」にしているのは、
「私には何の魅力も価値もない」と確信してしまうほどに深く傷ついた出来事と、
その時に着込んだ「自分自身に対する諦め」という鎧
なのです。
確かに、鎧を着ておけば自分を守ることはできます。
でも同時に、「どうせ私には何の魅力も価値もない」という悲しい諦めをずっと抱え続けることにもなります。
何か素敵な言葉を言ってくれる人がいても、「どうせこの人も私を騙そうとしている、バカにしているに違いない」と誰一人信じることはできないので、周りからも距離を取ることになります。
孤高の頑張り屋さんのミステリアスな印象は、この鎧で作られている部分も大きいですね。
一度着こんだ鎧を脱ぐのは怖いものです。
その怖さが、「そんなの胡散臭い」という思いをますます深めます。
でも、鎧を脱いでも、傷つかない方法もあるのです。
と言ったら、また胡散臭く聞こえるでしょうか。
それが、自分で自分の価値や魅力を知ってあげること、なのです。
誰がバカにしてきても誰が否定してきても、自分が自分の価値や魅力を知っているので、外野の声なんてどうでも良くなってしまうこと、なのです。
自分が自分の一番の理解者であり味方であり、誰よりも魅力や価値を知ってあげていることって、控えめに言って、最強!なのです。
今まで鎧でがちがちに自分を守ってきた分、勇気は要りますけどね。
鎧の内側は、あまりに柔らかくて繊細なので、必死に守ってきたんですよね。
でも、その内側は、自分でその魅力や価値を信じてあげられれば鎧なんて全く必要ないくらい、本当は強くしなやかな姿をしています。
ずっと鎧の中に隠しておくのは、もったいない。
頑張り屋さんは、宝の山を鎧の中に隠しているのよね、といつも思っています。
そのたくさんの価値や魅力を自分自身で見てあげて使ってあげること以上に、自分も周りも恩恵を受けられることが他にあるでしょうか?
いや、ない!
と、声を大にしておこうと思います。
もちろん、セミナーなどを使わなければ自分の魅力や価値が分からないなんてことはありません。
「私の魅力や価値って何だろう?」
という問いを、自分に投げかけるだけでも見えてくることはありますよ♪(コツは、「ある」前提でやってみてください。)
それでもやっぱり、どうしても「胡散臭い」と感じる方はいらっしゃるでしょう。以前の私がどうしてもそう感じていたように。
それでもやっぱり、私はこれからも、皆さんそれぞれに素晴らしい魅力や価値が必ずあるのです、だから見つけてあげましょう、受け取ってあげましょう、と、そこここで言い続けるのです(頑張り屋さんにお伝えしたいたくさんのメッセージの一つとして、ね)。
それが、分厚い鎧を、たくさんの時間をかけて脱いできた私に今できることなのだと思っています。
もちろんセミナーも、ご興味お持ちいただけましたら是非ご参加ください☆
オンラインでお会いできますこと、楽しみにしております♪
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【自分の魅力や価値をこれでもか!と受け取るワークショップ】
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閑話休題。
風が少ない日は、運河が水鏡になってまた素敵です。