お母さんに愛されてなかったとしても、
確かに自己価値が感じられる。
それって、素晴らしいことだと思うのです。
こんにちは、オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
自分迷子な大人女子さんが、本気で人生を取り戻すお手伝いをします。
「母に愛されてなかったとしても大丈夫と思うようになった」
今回は、オンラインカウンセリングサイト「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談にお返事します。
母に愛されてなかったとしても大丈夫と思うようになった
夫と衝突することが多々あり、自分の中の依存心に気づいた武闘派女子です。
根本先生のブログを愛読しており、いろんな記事を読む中で、幼少期に母から十分に愛してもらえなかった、受け入れて貰えなかったという気持ちと向き合うべきだなと思い至りました。
自分なりに自己分析を繰り返し、
「自分の価値は誰かから愛されたから・愛されなかったからといって揺らぐものでは無い」
という結論になりました。
その流れで、ということは、母親が愛してくれなかったからといって、私の価値には何も影響がないのか!母からの愛に執着しなくてもいいんだ!と心が軽くなりました。
その後、さらに考えていく中で「母親の愛情表現は自分が望む形とは違った可能性もある」「母親が愛せなかった理由があるのかもしれない」とも思えましたが、「もし心から母親から愛されてたと思えなくても、自分が自分を愛し受け入れられるならば自分は大丈夫じゃん!無理に愛されてたと思い込まなくてもいいのでは?」という気持ちの方が大きいです。
これはまだ母から逃げているのでしょうか?
これまでかなり無価値感が強烈にあったので、「存在価値には何からも左右されないのでは」と気づき、「自分に起こることは自分が選んだ結果であり、自分で責任を持たねばならないけれど、どんな結果であっても自分の価値は変わらない。だから大丈夫だ」と思った時衝撃的すぎて、これはもしかして極端な考えになりすぎているのでは?と心配なのですが、大丈夫でしょうか????
(もちもちさん)
もちもちさん、こんにちは。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコと申します。
もちもちさん、すっごくたくさんご自分に向き合ってこられたんですね、
自分一人でここまでの気づきを得られてしまうなんて、すごい!!!
極端な考え方になり過ぎているのでは?これで大丈夫なのか?
と感じていらっしゃるとのことですが、
結論から言うと、めっちゃ大丈夫だと思います☆
私のお返事はこちら↓です。お役に立てれば嬉しいです♡
悟りの境地に至ったんですね!
もちもちさんのご相談文を読んで、
何だかもう、悟りの境地に至ってしまったのね!
と思いました。
ほんとにたくさんご自分と向き合ってこられたんですね。すごいなぁ。
とはいえ、もちもちさんのご相談は、
>これはまだ母から逃げているのでしょうか?
>これはもしかして極端な考えになりすぎているのでは?と心配なのですが、大丈夫でしょうか????
ということでしたね。
「?」の数の大きさからも、気づきの衝撃の大きさが伝わってくるようです。
もちもちさんは、本当に強烈な無価値感をお持ちだったんですね。
なので、到達した気づきが、もともと持っていた無価値感からはあまりにかけ離れ過ぎていて、
ご自分でも戸惑いが止まらない感じなのかもしれません。
それで、
これは逃げているだけなのか?これで大丈夫なのか?
という疑問が湧くのでしょう。
判断基準は、自分がどう感じるか。
私は、こういう時の判断基準は、
自分の感情・感覚
だと思っています。
「存在価値には何からも左右されないのでは」
「自分に起こることは自分が選んだ結果であり、自分で責任を持たねばならないけれど、どんな結果であっても自分の価値は変わらない。だから大丈夫だ」
と気づかれたわけですが、
今、もちもちさんはその気づきについて、どんな感じがしているでしょう?
なんだか、やけにすっきりしちゃって、
拍子抜けするような、呆けてしまうような、脱力するような感じ?
だとすると、
程度の差こそあれ、その感覚は、
これまでに、もちもちさんがたくさんの気づきを得てきたときの感覚とも、どこか通じるのではないでしょうか?
であれば、
今回の大きな気づきも、これまでに得てきた気づき同様に、
もちもちさんにとっての「真実」
なのだろうと思います。
なので、全然心配いらないんじゃないかな!と思います。
私も、ご相談文を読んだ印象は、こちらなんじゃないかな?と思いましたよ♪
でも、逆に、もしかして、
「きっとこう思えなくちゃいけないはず」とか、
「ここまで思えるようになれば、もう母親問題は終わりにできるはず」とか、あるいは、
「どうせ愛されてなかったわよ!でも私は価値ある存在なんだから!」のような、
ちょっと無理しているような、やさぐれているような、苦しいような感じが、
実は心の中にあったりするのでしょうか?
だとすると、これは、「これで大丈夫なのか?」という心配のケースに当たるのかもしれません。
でも、
この感じが心の中にあれば、たぶんもちもちさんは気が付くと思うんですよね。
そして、ココロノマルシェにお便りをくださる前に、
「うーん、なんか変だな」と、さらにご自分に向き合われたんじゃないかなぁ、と思うのです。
なのでやっぱり、
こちらのケースの可能性は薄いんじゃないかな?
というのが私の印象です。
・・・と、ここまで読んでいただいて、
もちもちさんの感覚は、もちもちさんに何を伝えてきているでしょう?
その感覚と繋がってみてほしいです♡
自分の価値は、母・他人に関わらず、自分で感じるもの。
「もし心から母親から愛されてたと思えなくても、自分が自分を愛し受け入れられるならば自分は大丈夫じゃん!無理に愛されてたと思い込まなくてもいいのでは?」
これ、私は拍手喝采!したいところです。
自分の価値は、母親も含め他人からの言動とは全然関係ないんですよね。
まさに、
自分が自分を愛し受け入れられるならば自分は大丈夫
なのです。
確かに、
母親から確かに愛された感覚が持てれば、自分の価値も感じやすくなります。
なので、母親からの愛に気づくというのは、大切な癒しのステップ(の一つ)であることは間違いありません。
でも、
お母さんからの愛を感じることが、自己価値を感じる唯一の方法、なのではない、んですよね。
自分が自分を愛し、受け入れてあげることができれば、それでもう充分、なのです。
その意味では、むしろ、
「無理に愛されていたと思い込む」ことの方が、
お母さん(との関係の中で、もちもちさんが感じていた感情)から逃げることになるかも?
とも思うくらいです。
そんなわけで、
もちもちさんは、最初の強い無価値感や依存心からは考えられないほど、
お母さんからの愛情に依存せずに自己価値が感じられるところまで来られたわけで、
つまりそれは、
「これは逃げているだけなのか?これで大丈夫なのか?」
と、戸惑ってしまうくらいの別世界まで、気づきを進めた、成長した、ということです☆
それを、自信にしていただければ良いんじゃないかな!
と思いますよ♡
ぜひこの調子で、自信を持ってご自分の気づきや感覚と繋がりながら、人生を前に進めていってくださいね!
それからもちろん、私たちカウンセラーにお手伝いできることがあれば、いつでもお話聞かせてください♡
もちもちさんの幸せを、心より応援しております。
お読みいただき、ありがとうございました♡
コバヤシアキコ
今日の一枚。
桜の下に、花柄のミニカー。