自分の欲しいものは手に入らない、
ということが何度も繰り返されるとき、
その背景には、どんなことが考えられるでしょう?
自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
「同じことが繰り返される訳」
今回は、オンラインカウンセリングサイト「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談にお返事します。
同じことが繰り返される訳
初めまして、よろしくお願いします。
根本先生のYouTubeをよく拝見しています。
この前、被害者意識のことを見て、思い当たる節が数々あり、時間をとって過去を振り返っていましたら、同じようなことが繰り返されていることに気づき、自分ではモヤモヤしてしまうので、こちらに投稿しました。
それは、自分の欲しいものは手に入らないという繰り返しです。昔小学生低学年くらいのときに、近所の子とスーパーファミコンをして、とても楽しくて、親に「ファミコンが欲しい」とねだりました。
時期に、クリスマスプレゼントか忘れましたが、家に届いたのが「ピコ」という、同じテレビゲームですが、私が欲しいスーファミではない機械でした。これでは、近所の子とストリートファイターなど一緒に遊べない!怒って母に言いましたが、それはだめ、これにしなさい、と言われて、それで「三丁目のタマ」など、子供じみたゲームをしていました。
そもそも何故スーファミがほしかったか理解してくれなかった悲しみと、同じくらい高い機械だから、強く言えない自分。自己主張ができなくて、泣き寝入りしました。
時が経ち結婚しましたが、夫との間でも同じようなことはあり、それがだいたいは家です。引越し先が、私が苦手な音がうるさいところや、あまり好きではない土地で駅から離れたところなど。結果的には穏やかにいま暮らせていてありがたいのですが、自分の意思が通らないことが多いので、どうしたら良かったのか、後悔もあります。
書きながら思いましたが、わかってくれるだろうという甘えとか、主導権を渡してしまうところが原因かもしれません。
どうしたら、自分が望むものが手に入るか、もっと真剣に相手と話し合うことが良いのでしょうか。
この件も、根本先生のおっしゃる「主体性」なのかもしれませんが、
もしよろしければご回答いただけたら嬉しいです。宜しくお願い致します。
(とむさん)
とむさん、こんにちは。
オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコと申します。
子供の頃に体験した、「欲しいものが手に入らなくて悲しい思いをした」ということが、
大人になった今も、旦那さんとの間で繰り返されている、とのこと。
まずはそのパターンに気づいたのがとっても素敵です!
そんなパターンはどんどん手放していきたいですね。
ご相談文を拝見して感じたのが、
とむさんは、ご自身を、
自分が望むものを自分に与えてあげられる(尊重してあげられる)「大人」、
ではなく、
自分が望むものは、相手(大人)に同意・承認してもらって与えてもらわないと手に入れられない「子供」、
のポジションに置いていらっしゃるのかも?
ということでした。
順を追ってお話していきますね。
私のお返事はこちら↓です。お役に立てれば嬉しいです♡
子供は「弱い立場」の「被害者」になりやすい。
まず、
「子供」って、大人に比べてどうしても力が弱いので、
大人の言動に振り回されたり、悲しい思いをすることも結構あります。
特に、
親に、子供の思いを聞く余裕がなかったりして、頭ごなしにその希望を抑えつけたりすると、
子供からすれば、
「私は、自分の希望を無視されて悲しい思いをした被害者だ」
みたいな感覚にもなってしまうというものです。
とむさんのファミコンの件は、まさにそれを示す例なのではないかな、
と思いました。
ご相談文で、「被害者意識」に思い当たることがいろいろあった、とのことで、
ファミコンの件以外にも、そんな、弱い立場の子供時代の悲しい思いが、
とむさんの中にはまだいろいろ残っているのかもしれませんね。
「弱い立場」の感覚が、抜け切っていないのかも。
で、
大人になる中で、
「いやまぁ、そうは言っても、私ももう大人だし、自分がほしいもんは全部手に入れちゃえばいいよね☆」
みたいな感覚を身につけられれば、特に問題もないと思うのですが、
もしかすると、
とむさんの中には、被害者意識だけでなく、
「弱い立場の自分の望みが叶うかどうかは、強い立場の人(大人)にかかっている」
みたいな思いも、まだ残っているのかもしれません。
そして、そうやって、
弱い立場の子供のポジションから、
旦那さんを「強い立場の人(大人)」のポジションに見ているのかも?
なんて思ったりもしました。
ご自分を、無意識に「弱い立場(子供)」に置いているので、
強い立場の大人(旦那さん)が同意してくれたり承認してくれない限り、欲しいものは手に入らない、
という前提を無意識に持ちがちなのかな?
と。
(ちなみにこれは、
弱い子供の立場から見ていた、強い立場のお母さんを、旦那さんに投影している、
ということでもあります。
子供の頃の親との関係が、パートナーシップで再現されることは、
良くあることなんですよね。)
「大人」のポジションにステージアップする。
そう考えると、
とむさんが望むものを手に入れるためにできることも、見えてきそうです。
今回私からは、とむさんに、
旦那さん/お母さんと対等な「大人」のポジションにステージアップして、
「大人」のポジションで、自分が欲しいものを手に入れられる(尊重できる)ようになる
ことをご提案したいなと思います。
これは、
旦那さんに、強く主張して、とむさんが欲しいものの価値を認めてもらう、それを与えてもらう、
という意味ではありません。
それだと、
とむさんは子供のポジションのまま、旦那さんは大人のポジションのままなので、
対等ではないですね。
また、
自分の意志を通すために、「主導権」を巡って旦那さんと争う、そこに「真剣」になったり「主体性」を発揮する、
という意味でもありません。
これは、旦那さんとより対等な感じがしますが、
「夫婦」というより「敵同士」みたいになってしまいそうです。
私が今回ご提案するのは、まずは、
旦那さんが欲しいものも、とむさんが欲しいものも、
どちらも同じように価値があって、叶えられて良いもの、として、
とむさんご自身が、平等に尊重する意識を持ちます。
それが、「子供」から「大人」のポジションにステージアップすることでもありますね。
そしてその上で、
お互いにとって一番幸せな着地点を、二人で見つける、んですね。
それができる大人であることを、とむさんご自身が、まず目指してみる、という感じです。
この時、例えば、
万が一、旦那さんの方が、その対等な取り組みに消極的だったとしても、
それを旦那さんの非として責めるのではなく、とむさんご自身が主体的に取り組みます。
旦那さんの希望を無視したいわけじゃなく、ちゃんと理解して尊重したい。
そうやって、二人の希望がどちらも尊重できる夫婦関係を、二人で一緒に作りたい、
ということを、真剣にコミュニケーションします。
そうすると、その過程では、
結果として、もともと自分が欲しかったものとは違うところに着地することもあるかもしれません。
でも、
「旦那さんが欲しいものも、私の欲しいものも、どちらも尊重されていい」という前提を持って、
実際に、丁寧にコミュニケーションを重ねてどちらも尊重しながら、
旦那さんと一緒に、二人が幸せな着地点を見つけることができれば、
結果として、自分の最初の希望とは異なるところに着地したとしても、
モヤモヤはほとんど感じないと思うのですね。
そんなところを、今回はご提案したいなと思いました。
お母さんへのわだかまりを解消するのも良き。
ただ、
こうして旦那さんと向き合おうとする中で、やっぱり、
「自分が欲しいもの」へのこだわりが強くて、
「二人が幸せな着地点を見つけること」が妥協のように感じられて、
積極的になれない、苦しくなってしまう、
とか、
旦那さんと対等であることが、頭では分かるけど、どうも腑に落ちない、
うまくコミュニケーションできない
みたいなこともあるかもしれません。
そんな時は、
お母さんに対するわだかまりとか、子供の頃の心の痛み(被害者意識)などが
強く残っていることもあり得ます。
それを、旦那さんとの関係の中に投影している状態ですね。
だとしたら、
まずは、お母さんとの関係や、子供の頃の記憶を整理していくのも良きですね。
整理が進むほどに、今回お話したことも、ぐっと取り組みやすくなると思います。
(もちろん私もいつでもお待ちしてますので、お話聞かせてください♡)
欲しいものを、上手に自分に与えて(尊重して)あげられる、大人女子になっちゃましょう♡
「自分の欲しいものは、いつも手に入らない」というジンクスは、切ないものですね。
でも、今のとむさんには、
それを超えて、旦那さんの希望も自分の希望も、上手に叶えて(尊重して)あげられる大人女子
になるタイミングが来ているのではないかな♡
と考えながら、書かせていただきました。
とむさんが、欲しいものを気持ち良く手に入れていけますよう、
超応援しています!
お読みいただき、ありがとうございました♡
コバヤシアキコ
6月に、東京で対面セッションをやります!
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東京でお会いできるのを楽しみにしています♡
今日の一枚。
教会周辺も春めいております。