こんにちは、頑張り屋さんの女性を自由にするカウンセラー・コーチ、コバヤシアキコ@オランダです。
今回は、ちょっとイタい部分も含まれるお話ですので、イタいの苦手な方はスルーしてくださって大丈夫ですよ!
(心の話って、イタいことも結構あるんですよねぇ(遠い目))
何か失敗をしてしまったときって、私たちはつい
「あぁ、私のばかばか!」
と自分を責めがちですよね。
私もよくやります。もー、自分を爆破してやりたいような衝動に駆られます。
この、「自分を責める」というのは、責任を感じるからこその行動ような感じもしますが、
実は、責任から逃れる行動だったりするのです。
今日は、そんなお話です。
責任を取る、というのは、
自分が失敗をしたことを真摯に認め、それを改めること
です。
一方、自分を責めている時って、
その失敗から目を逸らし、改めるという行動を避けている時
でもあるんですね。
実は、その失敗を直視する方がイタいので、その代わりに自分を責めていたりするのです。
もうこれ、書いているそばから私が「あいたたた…」となっているのですが(泣笑)
しかも、さらにイタいことを書いてみると、
自分を責めていると、周りから、
「そんなに自分を責めなくていいよ、もう気にしないで」
と、何となく許してもらえるような気がします。
つまり、本当の意味での責任は取らずに、許してもらえちゃう流れに持って行ける気もするのです。
あら、むしろ無責任?!(涙)
自分を厳しく責めること自体、とても苦しいことではあります。
でも、自分の失敗を正面から認めて改めるという「責任を取る」ということの方が、さらに苦しいことも多いんですよね。
なので、無意識に自分責めを選んでしまう、なんてことも意外とあるのです。
では。
なぜそんなにも、自分の失敗を直視するのが怖いのか?というと。
私はもっとできるはずなのに、それができなかった
のように、
自分で自分にがっかりするのが、それはそれは悔しいし悲しいし惨めだから
というのが結構あります。
周りの人の目というより、自分の目が怖いことが多かったりするのです。
それくらい私たちは、自分に期待してハードルを上げているところもあるのかもしれませんね。
ということは、
失敗を直視して責任を取るためには、
自分に課したそのハードルを飛べなかった、その自分を認める
ことが出発点になります。
これは、
その時の私には、これが精いっぱいだったんだ
実は私は、自分で自分に期待したほどのレベルではなかったんだ
悔しいけれど、それが、この時の私だったんだね
と、ただ「知り」、「認める」感じです。
これもまた難しく感じるんですけどね!
これは、
このハードルが飛べなかった自分、許すまじ!と、自分を責めていたその手を緩める、つまり「許す」ということでもあります。
(「許す」の語源は「緩む」なのだそうです。)
つまり、
失敗を直視して改める、つまり「責任を取る」ということは、自分を「許す」ことから始まる
ということでもあるんですね。
意外でしょうか?
「責任を取る」って、もう一生自分を責めて責めて責め続けること、みたいな感じもしますが(そんなに極端じゃないか)、
実は、その逆の「自分を許すこと」が根っこにはあるのでした。
ならば、
まずは、自分を許してみませんか。
そうやって、真摯で大人なあり方で、責任を取っていきませんか。
でも、そうすると、もちろん、
でもやっぱり、その自分が許せないんですー!
なんて声もたくさん風に乗って聞こえてきそうです。
もし良かったら、その難しさを、聞かせてくださいね!
許せない自分を一つずつ、許していきましょう。
そこから、一歩ずつ前に進んでいきましょう。
いつも、応援しています。
*
閑話休題。
お花屋さんの窓に映る街。