こんにちは、オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
母への怒り、コンプレックス(容姿、能力、異性・同性)、自分が分からず自信皆無。
全てから逃げてアメリカ⇒トルコ⇒オランダを流れ歩いた、早稲田女(ワセジョ)でエリートになり損ねた元ベリーダンサーのカウンセラーがお贈りする、
「人生迷子な頑張り屋さんが、本気でわたしの人生を取り戻す」カウンセリング。
あなたには、「苦手な人」はいるでしょうか?
誰か苦手な人がいた時、
「何から何まで苦手」であれば、距離を置くことにもそんなに罪悪感は感じないと思うんですよね。
一方、これが、
この人、基本は良い人なんだけど、たまに上から目線なところが苦手なんだよね…
あの人、良いお友達ではあるんだけど、ちょっとキツいところが苦手…
みたいに、
「ある一面(だけ)が苦手」だったりすると、
その人を苦手と思ってしまうことが申し訳なく、
またまた、
「こんなことで苦手と感じてしまう私、嫌な人間だな…」
と自分責めサイクルが発動してしまったりします。
今回は、そんな時のお話です。
これ、結論から言うと、
「苦手な部分」まで含めて、その人のすべてを好きになる必要はない
です。
「良い人」、「良い友達」だけど、「苦手な部分」もある。
それで良いのです。
自分が、「この人のこの部分はちょっと苦手」と思うことを、自分に許してあげて良いのです。
苦手な人がいて苦しくなってしまう人って、
「苦手な部分」も含めて、相手のすべてを好きになれないといけない
と、自分に厳しい要求を突き付けていることも多いんですよね。
でも、
人って、それはたくさんの側面がありますから、その全てを「好き」になるのは、至難の業と言っても良いです。
むしろ、何かしら苦手な部分もあるのが、人間としてごく自然なことだと思います。
なので、
もー、これは仕方ない!
です。
もー、これは仕方ない!って、声に出して言ってみると、意外とすっきりしますよ♪
んで。
それでもやっぱり、
誰かのここが苦手、と思ってしまう自分が許せないストイックな方も、
特に私の読者様には多いかと思います。
それは、
あなたがそれだけ「愛したい人」だから
なのです。
苦手と感じる部分も含めて全部を愛せるくらい、あるいは、
何も苦手と感じないくらい、
大きな愛の人になりたい、んですよね。
それくらい、本来、大きな器にたくさんの愛を持った人、なんです。
大きな器にたくさんの愛を持っているからこそ、その大きな愛を使いこなせず、「苦手」と感じてしまう自分が許せない、んですね。
器が小さいんじゃないんです。
器が大きいからこそ、その大きさに見合った愛し方ができていない自分が、許せない、のです。
そう考えると、そんな自分がちょっと許せそうに思えませんか。
ちょっと、そんな自分、許してみようかな、と思えてきませんか。
…まぁ、でも、そんなこと言ったって、
自分に対しては、サンドバッグみたいな扱いが平気でできるくらい、自分に厳しい皆さんのことなので、
「大きな愛の人」なんて、全然腑に落ちない方も多いかとは思うのですが。
それでも、
あなたの心には、このメッセージが届くと良いな、と思いながら、
今日もお送りしてみます。
あなたは、今、どんな人が苦手で、苦しんでいるでしょうか?
良かったら、お話聞かせてくださいね!
いつも、応援しています。
*
閑話休題。
箱付き三輪車。