こんにちは、オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。
母への怒り、コンプレックス(容姿、能力、異性・同性)、自分が分からず自信皆無。
全てから逃げてアメリカ⇒トルコ⇒オランダを流れ歩いた、早稲田女(ワセジョ)でエリートになり損ねた元ベリーダンサーのカウンセラーがお贈りする、
「人生迷子な頑張り屋さんが、本気でわたしの人生を取り戻す」カウンセリング。
他人が望んでいることは良く分かるし、それに器用に合わせてあげることも得意なので、いつもやってあげているけど、
自分が望んでいることとなると、どうも良く分からない。
とか、
職場のこととか離婚とか、何かしら「問題」があって解決しなくちゃいけないのだけど、
自分がどうしたいのか分からない。
とか。
そんな、「自分の気持ちが分からない」という時、
自覚はないけど、実は「怒っている」のかも?
というお話です。
人は「感情」の生き物、と言うように、私たちは、喜怒哀楽、いろんな感情を感じながら生きています。
が、「怒り」などのようにネガティブな感情は、「悪い感情」「ダメな感情」のように思い、
そんなものは感じていないことにし、感じることを自分に禁止している方も多いです。
で、
たとえ「ないこと」にして、感じてはいけないと「禁止」したとしても、
その怒りという感情はそこにあるので、どこかで爆発しがちという弊害がありますよ、というのがいつものお話なのですが、
今回はまた別の角度からもう一つの弊害について。
それはどんなことかというと、
「ないこと」にし、「禁止」して、「怒り」の感情を抑え込み続けると、
「楽しい」とか「嬉しい」とか「快適」などの、「怒り」以外のポジティブな感情についても、
一緒くたに抑え込んで、「分からなく」なってしまうのです。
「怒り」だけを「ないこと」と「禁止」して、それ以外の感じたい感情だけを選んで感じる、ということは、
残念ながら私たちにはできないんですよね。
するとどうなるかというと。
自分が何を楽しいと感じ、何を嬉しいと感じ、何を快適と感じ、何を幸せと感じるのか分からない、
つまり、冒頭のような、
自分が求めたいことってどんなことなのかが分からない
自分の気持ちが分からない
なんてことになったりするんですね。
なので、
自分の気持ちが分からない
という時は、
私はもしかしたら、怒っているのかな?
(そして、その怒りを抑え込もうとするあまり、その他のポジティブな感情まで一緒に抑え込んで、自分の気持ちが分からなくなっているのかな?)
と、自分の心の中を探ってみるのはおすすめです。
もちろん、ここまで全力で抑え込んできていますから、最初はさっぱり意味が分からない、くらいの感覚だと思います。
それでも、「もしかして私、怒ってる?」と、自分自身の「心」に意識を向けてあげることに意義があるんですね。
ちなみに、
自分が喜ぶこと、楽しいこと、快適なこと、幸せなこと、が分からない、感じられない、という状況は、
当然とてもつまらないし、これが続くと、
私、何で生きてるんだろ
のような強い虚無感に繋がることもあります。
なので、そんな思いを感じる時は、やはり同じように、
私はもしかしたら、怒っているのかな?
と、自分の心に目を向けてみると良いですね。
ただ、普段から自分の怒りを怖れて強く禁止し抑え込んでいるほど、
怒っているのかな?
という可能性を考えるのも怖くて抵抗があるかもしれません。
が、以前も書きましたが、
怒りは、自分で受け止めることができるものだし、そうすれば怖れる必要がないことも分かります。
そして、これもどこかで書きましたが、
怒りのエネルギーは、バイタリティとか生命力にも繋がる素晴らしいエネルギーでもあります。
なので、自分の怒りを受け入れることができるようになっていくと、
超元気で、心がとても身軽な自分になっていくこともできるんですね(というか、それが本来の自分、なのですが)。
そんなところをビジョンにしつつ、自分の心と向き合ってみるのも素敵なんじゃないかなぁ、と思うのです。
で。
そんな、自分では怖くてなかなか扱いきれない感情を、丁寧に理解し、解きほぐしていくのがセッションの場、です。
そもそも、自分が怒っているのかも良く分からない(けど、自分の気持ちが分からないことは分かる)、とか、
怒りを受け止めると言ったって、どうすれば良いのか分からないし、やっぱり怖い、
といったところから始めていきましょう。
いつも、応援しています。
*
閑話休題。
夏の街並み。