相手を「尊重」しても、「同意」はしなくていい

相手の意見を尊重する。

このメルマガを読んでくださっている皆様は、本当に本当に優しくて誠実で思いやりに溢れた方ばかりなので、日々周りの人たちをそれは真摯に尊重してあげていると思います。

 

で。

でもですね。

それがちょっと疲れちゃうことって、ありませんか?
だとしたら、「尊重」じゃなくて、何か別のことしてるのかもしれませんね?

というのが、今日のお話です。

(「別のこと」の中身はタイトルに書いちゃっていますが笑)

 

そもそも、相手を尊重することそれ自体、何も悪いことはありません。むしろ、成熟した大人の態度と言えましょう。

でも、なんか疲れる。
なので、定期的に、人間界から身を隠して引き籠りたいキャンペーンがやってくる。

としたら。

 

もしかすると、相手を「尊重」しようとするあまり、相手に「同意」している、なんてことがあるかもしれません。

 

相手をきちんと尊重してあげられる優しい方って、共感力が高い方でもあります。

そういう方が相手を誠実に全力で「尊重」する時、知らないうちについ「共感」し過ぎることもあるんですね。

「うん、分かるよ、そうだよね、私もそう思うよ」なんていう風に。

 

で、これ、「うん、分かるよ、そうだよね」までは、シンプルな「理解」なのでそこまで体力を使いません。

が、「私もそう思う」まで行くと、「同意」になっていますよね。

「同意」って、自分の意見がたまたま同じであれば問題ありませんが、自分の意見が違う時にも同意してしまうと、それは自分の意見を無視していることになります

そうやって自分を無視することが、「なんか疲れた」という感覚に繋がっていくんですね。

(それくらい、自分を無視することって自分へのダメージが大きいのです。)

 

同意してあげる時って、「同意することで相手の味方になってあげたい」という優しさが根っこにあることも多いです。

これもまた、優しい方だからこそ無意識に、当たり前にできてしまう「才能」でもあります。

でも、それで自分を消耗してしまうのであれば、その「優しさ」という才能に自分が振り回されているのかもしれません

 

というわけで今回は、そうやってほとんど無意識に、いつも相手を誠実に「尊重」してあげられちゃう優しいあなたが、「同意」まではせずに自分自身も尊重するための簡単な方法を一つご紹介します。

それは、「主語を明確にする」ということです。←また地味!笑

 

例えば、先ほどの例で言えば、「うん、分かるよ、そうだよね、あなたはそう思うんだね」という感じですね。

そうすると、ここで自分と相手の境界線を引くことができ、「でも、私はこう思うなぁ」と自分の意見や感覚を尊重する余地が生まれます

わざわざ「あなたは」「私は」と対立する必要はありませんが、違いがある時に、「こういう違いがあるんだな」と淡々と観察して認識してあげるような感覚ですね。

 

人は、何でもかんでも同意してくれる「イエスマン」みたいな反応よりも、誠実に「理解」されることの方が深い満足を得られることも多いです。

なので、相手と自分の意見や感覚が異なることを申し訳なく思う必要はありません

最初は勇気も要るし、いつもほとんど無意識に自動的にやっていることなので、なかなかハードルが高く感じてしまうんですけどね!

でも、意識するだけでもずいぶん違います。

是非、頭の片隅に、「私は」という主語をいつも忍ばせてみてください♪

閑話休題。

運河で記念撮影中。