困難を乗り越えないと幸せになれないって誰が言った??

今回は、

困難を乗り越えないと幸せになれないって誰が言った??

というタイトルにしました。

 

「幸せ」「豊かさ」「果報」「嬉しいこと」「楽しいこと」などなど、誰でも腕を広げて「いつでもいらっしゃい!」ですよね!

もちろん私もです。

でも。

現実には、「そんなに簡単に『幸せ』や『豊かさ』や『嬉しいこと』なんて手に入らないんだよね、普通はいろんな努力や我慢や試練を乗り越えた先にやっと手に入るものだもの」と悟っている感じでしょうか?

 

…その悟り、本当ですかね?
なんでそんな風に悟りを開いちゃったんでしょうね?
っていうかその悟り、本当に信じる価値ありますかね??

それが今日のお話です。

 

例えば、ここに「幸せ」がラッピングされた素敵なプレゼントの箱があるとします。

で、それをいきなり手渡されたら、

「え、きっと裏には何かの罠があるんでしょ?素敵なラッピングされてるだけで、中身は偽物でしょ?」

と疑ってしまう人が多いんじゃないでしょうか。

 

でも、まったく同じ「幸せ」のプレゼント箱を差し出されながら、今度は

「ただし目の前の崖を飛び越えたらね!」

と条件を付けられると、途端にそれが正真正銘「幸せ」のプレゼントだと全力で信じちゃうのです。

実際には、どちらの場合も中身は同じなのに。

 

「確かにー」と思いませんか?

 

私たちはこんな風に、無意識のうちに「幸せ」に条件を付けています。

そして、無条件で幸せが手に入りそうなときは、「ほんとに?私騙されてない?」と自分で条件を作ります。

逆に、例えば先ほどの「崖」のように何か条件が付いているときは、疑うことなくその条件を鵜呑みにし、何とかしてそれを乗り越えようと努力を始めたり、乗り越えられない自分を責めたりします。頑張り屋さんあるあるじゃないでしょうか。

何の茶番でしょうかね、ほんとに笑

 

でも、こういう考え方が自分の「常識」になっちゃうのって、仕方ない部分は多々あります。

世の中に出回ってるお話で、主人公が何の苦労もなく幸せを手に入れちゃうお話なんかないですからね!

よくある話では、主人公は必ずたくさんの敵を倒して幾多の困難を乗り越え、人間としてもたくましく成熟した大人へと成長したりなんかして、もうこれくらい頑張ったんだからそろそろ幸せを手に入れてもいいんじゃん?というところまできて、やっと最後に幸せを手に入れますよね。

ストーリーとしてはその方が面白いのでまぁ仕方ないのですが、そんなお話ばかり見聞きしていると、「幸せって苦労してやっと手に入るもの。世の中そういうものだ」と無意識にすっかり刷り込まれてしまっても仕方ないとも言えます。

 

また、他にもよくあるケースは、子供の頃の経験も大きく影響します。

例えば、本人は気が進まない習い事などに通わせるとき、「○○ができたらご褒美におやつを買ってあげる」みたいな手を親は良く使いますね。

これも、「嫌なことでも我慢して頑張ればおやつ(幸せ)が手に入る」という条件付けになることが多いです。

(こういった親の方針を批判するわけではありません。こうやって、気が進まないことでも頑張った先の達成感や成長は素晴らしい財産になりますよね。ただ、先ほどの困難を乗り越える主人公のお話と同じように、「幸せ」に条件が付いてしまう可能性もあるね、という話です)

 

それから、無条件に幸せが手に入る!と思ったのに実は簡単には手に入らなかった、なんていうがっかりを避けるために、予防措置として条件を付けるという本能的な防衛措置という面もありますね。

条件が困難であればあるほど、「こんなに難しい条件が付いている『幸せ』なら、手に入らなくても諦められる」みたいなね。

この場合、それが欲しければ欲しいほど難しい条件を自分で演出しちゃったりもします。なんてこと~!笑

 

あと、周りからの嫉妬が怖いなんていうのもありますね。

何の苦労もなくほいほいと良い思いをしてしまったら周りから妬まれるので、妬まれない程度に苦労しておこう♪ってなるんですね。

 

こんな風に、条件付きでないと良い話は信じない(受け取らない)背景にはいろんな理由があります。

で、いろんな困難を乗り越えて幸せをゲットすることが何かのゲームみたいで楽しい!なら存分にそのゲームを楽しめばよいと思うのです。もうどんどん楽しんでください。

一方、頑張り屋さんて、「条件付きの幸せ」教を素直に信じ切っている方も多いと思うんですよね。私もずっとそうでしたしね。

それって、結構苦しいことが多いと思うのです。

「この山を乗り越えればきっと楽になれる、幸せになれる」と思ったら、「あれ、次は谷?!」みたいに、永遠に自分に試練を課し続ける人生になりがちなんですよね。

「幸せになること」ではなく「困難を乗り越えること」が人生の目的になってしまうのです。

 

でも、ここまでお話した通り、「幸せになるには○○を乗り越えなければ」というのは、ただの「思い込み」です。

自分でそう思い込んでいるだけなら、これからもそう思っておきたいか、それとももうそう思い込むのは止めようか、も、自分で決めることができますよね。

こうやって、「自分で決めることができるのかー!」と知ることが、自分の思い込みから自由になるための始めの一歩です。

 

さて、では、幸せは条件付きでしか手に入れないのか、無条件であっさり手に入れちゃうのか?

自分で決められるなら、どんなふうに決めたいでしょうか?

是非わくわくしながら考えてみてください♪

 

それから、考えてみる中で、「もちろん無条件で!」という方もいれば、「そんな綺麗ごと言って、あほなの?」と怒りを感じる方もいらっしゃるかと思います。

是非、どんなことを感じたかなどシェアしていただけたら嬉しいです♪

閑話休題。

街の観光にクラシカルな馬車!

中世の街並みに馬車が良く似合います。がたがたして乗り心地はあまり良くないと思うのですが笑