人と自分を比較していると、やっぱり「自分が分からない」感覚になる

ここ何回か、「自分が分からない」感覚について書いています。

⇒「本来の自分とはちょっと違うキャラ」を知らないうちに演じて、自分が分からなくなっている?

⇒人の目を気にし過ぎると、やっぱり「自分が分からない」感覚になる

本来の自分とはちょっと違うキャラを演じることで、自分が分からなくなったり、
人の目を気にしすぎることで、自分が分からなくなったり。

 

そして今回は、

人と自分を比較することで、自分が分からなくなる

というお話をしてみます。

 

比較って、何かしらの集団に所属していると、無意識にやっていることだと思うんですね。

  • ○○さんはコレくらい稼いでいるけど私はそこまででもない。
  • 私はアレができるけど、△△さんはこんなこともできる。

みたいにして、

周りとの比較を元に、その集団の中での自分の位置づけを何となく把握して、その位置づけで「自分の姿」を定義する

ような感じでしょうか。

ちなみにこれ、会社のような分かりやすい集団でなくても、同じ地域に住んでいる人、のような、あまり目に見えない「集団」でも結構あるかもしれません。

 

こういう時って、「自分の姿」が、「周りがどんな人か」によって変わってしまうんですよね。

なので、例えば組織の中で異動したり、引っ越しをしたりして、比較する対象の「周りの人」が変わると、

もう一度自分の位置づけを把握し直さないと「自分の姿」を見失ってしまうのです。

 

(これ、学生時代の「クラス替え」を思い出すと分かりやすいと思います。

でも、大人になっても意外とそのパターンを持ち続けている方もいらっしゃいます。)

 

それから、負けず嫌いな方も、この罠にはまったりします。「勝ち負け」って、比較の結果ですのでね。

そして、勝てたら自分を肯定できるけど、負けた自分には価値がない、みたいにして、

「自分の姿」が比較の中でぶれるのと同時に、自己肯定感も傷つくことも多いです。

そして、それが嫌なので、「いつも勝ち続ける、人より優れた自分」という姿であるために頑張り続けちゃう、なんてことにもなります。

 

こんな風にして、人との比較の中で自分を見失い、自分が分からない、という感覚になるときは、やっぱり、

人はどうあれ「私はこういう人」
「私にもこんな素敵なところがたくさんある」

というところに意識を集中したいところです。

 

○○さんに素晴らしいところがたくさんあろうとなかろうと、
△△さんよりは私はこんなところが優れていようとそうでなかろうと、

私には私の素晴らしいところがたくさんある

のですから。

 

いやだから、それが難しい!

のですけれど。

 

まずは、

そうか、私は人と自分を比較する癖があるのかもね?

というところから意識してみましょう。

 

そして、

「私が持ってる私の価値」

を、ちょっとずつ受け取っていけると良いですね。

それが、ゆったりとした余裕とか自信をつけていってくれますよ♪

 

私は私。私はこれで十分素晴らしい。

あなたがそんな自信を感じられますように。

いつも、応援しています。

閑話休題。

チューリップのある街かど。