休むのが「怖い」頑張り屋さんへ:私の場合。

今回は、

休むのが「怖い」頑張り屋さんへ:私の場合。

というタイトルで、昨日の続編として書いてみようと思います。

 

前回は、もう限界、なのに休めないというジレンマを抱えた頑張り屋さんに、休む勇気を持つために試してほしい3つのことをご紹介しました。

  1. 他人・社会からつけられる評価に自分の価値を依存して振り回され続けたいか、自分で自分に価値を見て、頑張るか休むのかを決めたいか、を考えてみる
  2. 「ただ楽しい」「ただ好き」という生産性が全くないことをする時間を敢えて作ってみる
  3. 生産性がない自分も、既に周りから愛されてた!ということを思い知る

という3つをご紹介しました。

 

で、今回は、それでも休むことに許可を出せない頑固ちゃんな頑張り屋ちゃん(笑)に、私もたくさん休みましたよ!という経験談をお話します。

 

私ももちろん、「休む」ということができなかったしそもそも「休む」という概念が理解できなかった一人です。

もう限界…と思っても、それでも頑張れちゃうのが私たち頑張り屋さんという生き物ですのでね。

 

なんですが。

私の場合、ある時本当に「限界」を迎えて休まざるを得なくなったことがあります。

私の場合は、心と体が人間活動を止めたような、そんな感覚でした。

鬱ではありませんでしたが、朝目覚めても「起きた」感覚がなく、日中も何もやる気が起きず魂をどこかに置き忘れてきたようで、睡眠時間もいつもよりさらに長くなり、長時間寝ているのにいつも身体の中に鉛を抱えているような感じでした。

そして、夜寝るときは「このまま死ぬまで眠っていられればいいのに」と思いながら眠りにつき、朝起きると「私は何をやっているんだろう、何で生きているんだろう」と日課のように思いを巡らせていました。

(本当に死のうとはしませんでしたけどね。なので今こうして元気にブログを書いています笑)

気力とか体力とか、とにかくすべてのエネルギーがもうすっからかんになってしまったんですね。

こうなったらもう、休むしかありません。というか、休むという生き方しかできません。毎日、屍のように生きていました。私のゾンビ時代です。

 

でも、人間というのは良くできているもので、そうやって人間活動(アウトプット)を止めて「休む」(インプット)と、まただんだんとエネルギーが溜まっていくんですね。

私の場合は1年から1年半ほどそうやってゾンビのように過ごしていたら、ある時から少しずつ、「あれ、もうこのゾンビ生活そろそろやめても良いかも、そろそろ人間に戻っても良いかも」と思い始めました。

それからすぐに人間としてシャキーン!と蘇生したわけではありませんが、ゆっくりゆっくりと時間をかけて、心と体のエネルギーが満たされていくのを待ちました。

それから、前回書いたような「楽しい」「好き」なことも少しずつ取り入れました。「楽しい」とか「好き」って、心を満たすのにとても大事なのです。

 

人間のエネルギーって、山奥で湧き出る泉みたいだなと思います。頑張り屋さんの泉からは、それはそれはたくさんの水がいつも湧き出ているはずです。

でも、たくさん湧いて出るからと言って採水しすぎれば、どんなに豊かな泉でも当然枯渇しますよね。でも、しばらく採水をやめてじっくりと待てば、また湧き出た水が溜まっていろんなことに利用できるようになるのです。

私の場合はこれに1~1年半ほどかかったという訳ですね。

ちなみに、私には師匠と仰ぐメンターがいるのですが、この先生は3年くらいゾンビ時代を経験したことがあるそうです。

 

みんなそうやって、休み休み生きているんだな。

そう思うと、自分が休むことへの罪悪感も少しは減りませんか?

 

ちなみにもう一つ言うと、「それでも頑張れちゃう」時は本当には「限界」ではないのかも、と考えてみても良いのよね、とも思っています。

もうこうなったら、頑張り屋さんらしく「後は死ぬだけ」(笑)になるまで頑張っちゃったって良いと思います。それも頑張り屋さんらしい生き方かもしれません。

本当にダメなときは、やっぱり本当にダメですからね。

 

ただこれ、やっぱり大きな声ではあまり言えないし個人的にはお勧めはしないなぁと思うのは、頑張り屋さんはそう言われると「よし、やっぱりまだ私は頑張れる!」と本当に頑張ってしまってうんですよね。

そして、限界を迎えるのは例えば鬱になったり大病をしたりなど、リカバリするのもちょっと大変というところまで行ってしまうことが往々にしてあるのです。

なので、できればそこまでやってしまう前に、さくっと休憩を入れて仕切り直した方が楽になるのも早いよね、と思うのです。

とはいえ「自分には鬱や大病が必要だった」という人もいますから、本当に一概には言えませんけれども。。

 

こんな風にいろいろ考えてみると、休もうと思うかどうかも結局はそれぞれの「タイミング」だなとも思います(いやまぁ何でもそうなのですけど)。

大病するまで頑張らないと休みたいと思えない人もいれば、また別のタイミングで「はー、もうだめだー」と決める人もいるでしょう。

どちらでも、本当にどちらも良いのですよね。

 

休むことは負けではありません。

更に幸せに自分のエネルギーを使えるようになるための、戦略的な選択です。

自分に一番しっくりくる戦略はどうすることかな、なんて思いながら、自分の「休む」という選択を考えてみていただけたら良いな、と思います。

参考になればうれしいです。

閑話休題。

この写真は、アムステルダム市民の心の故郷、西教会です。

アンネフランクの家のすぐ横にあり、アンネの日記にも何度も登場しています。