今回は、
謝れない人の心理とは?
というタイトルにしました。
皆さんも、人生の中で一人や二人や三人や四人くらい(笑)、絶対あの人が悪くてどうしても謝らせたいのに絶対謝らない!と、つい怒りを募らせてしまう人がいるのではないでしょうか?
私の場合は、もちろん「母」でした。(あと、あの時のアイツとかもいたな…遠い目笑)
あの時言われたあんな酷いこと、こんなひどいこと。
「ごめんなさい」と私の目を見て謝ってもらわないと気が済まない。絶対許さない。
と、ずーっと思っていました。
でももちろん、母はこれまで私に一度も謝ったことはありません。
これまでに2回、直接対決(という名の大喧嘩)をしましたが、自分がどんなに辛いかを訴え逆ギレされるだけで、一度も謝ってもらったことはありません。
今日の記事は、こんな、「謝れない人」の心理についてです。
謝れない人が、なぜ謝れないのか?
それは、怖いから、です。
何が怖いかというと、自分が罪を認めて有罪が確定するのが怖いんですね。
つまり、自分は罪人であると実は知っているのです。
自分が本当は100万回くらい謝らなければならないことを、心の中では誰よりもよく知っているのです。
そして、そんなひどい罪人である自分を、心の中では絞首刑にするくらい責めているのです。
少なくとも、自分で罪を認めない限り、自分の罪が明るみになることはない。
でも、自分でその罪を認めてしまったら、世界中が、目の前の相手が、自分を袋叩きにするに違いない。
だって自分は相手にそれくらい酷いことをした罪深い人間だから。絞首刑になるのが相応しい極悪人だから。
そんな風に思っているんですね。
自分がそれだけ酷いことをした罪人だと本気で思っている時、人は、自分が考える罪の大きさと同じだけひどく罰せられると考えます。
そんな恐ろしい罰が待っていると分かっている時、とてもじゃないけど自分の非を認めることはできませんよね。
謝れない人は、心の中にそれくらい大きな罪の意識と怖れを抱えた人なのです。
つまり、
謝れないのは、自分は何も悪いことをしていないと思っているから、ではなく、その真逆、
自分はとてつもなく悪いことをした罪人だと思っているから、そして、その罪が世界にばれたら最後、ひどく罰せられることが怖いから、
なんですね。
そう考えると、この「謝れない人」問題はまた別の角度から見ることができるようになります。
謝れないあの人もこの人も、毎日自分で自分を糾弾し続けているのです。
毎日、世界が自分の罪を知ってしまうのではないか、いよいよ自分を絞首台にかけに来るのではないか、と恐れているのです。
謝れない人は、そんな風に戦々恐々としながら毎日をやっとの思いで生きているのです。
傍目にはそうは見えないかもしれないですけれど、ね。
それからもう一つ。
謝れない人がそれほど大きな罪の意識に苛まれるということは、その罪を犯した相手が本人にとってそれだけ大切な相手だから、です。
どうでも良い相手への罪なら、そこまで強く自分を責めることはありませんものね。
ということは、この人が謝れないのは、その相手がこの人にとってそれだけ大切な人だから、でもあるのです。
だからそれに免じて許してあげようよ、というのはさすがに短絡的過ぎるし安っぽすぎるので言いません。
ただ、あの人のそんな事情を理解する心のキャパがこちらにあってしまったのだとすると、それは、相手よりも少しばかり心が成熟していることの不運(?)なのかもしれません。
どうやらこちらの方がちょっとばかり「オトナ」だったのです。
そして、心の世界では「気付いた方がリーダーシップを取る」というとても理不尽な(笑)法則があります。
気付かない人にはアクションは取れませんよね。でも、気付けちゃった人にはアクションが取れてしまうのです。
ということは、謝れないあの人の事情や罪の意識に気づいて理解し、許しに近づくことは、うっかり相手よりも成熟した心を持ってしまっていたあなたに委ねられた「リーダーシップ」ということなのかもしれません。
少なくとも、そのリーダーシップを発揮するかどうかの選択肢はあなたの手の中にあるようですよ。
参考になればうれしいです。
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閑話休題。
ピンクの自転車が良い感じ!な住宅街の風景です。
ほんとに自転車がたくさん。この山の中からみんなどうやって自分の自転車を見つけるのかいつも不思議です。