「好き」の反対は「嫌い」ではない。すると私たちは言い訳を一つ失います☆

今回は、

「好き」の反対は「嫌い」ではない。すると私たちは言い訳を一つ失います☆

という、若干挑発的な(笑)タイトルにしてみました。

 

さて、「好き」の反対は「嫌い」ではないとすれば、反対は何でしょう?

 

そこに行く前に、まず一つお話しておくと、「好き」と「嫌い」は同じ意味なんですよね。

どういうことかというと。

「好き」は相手にポジティブな関心を注いでいる状態、「嫌い」はネガティブな関心を注いでいる状態。

どちらにしても、相手にばっちり意識・関心を注いでいるのです。

例えそれがネガティブな関心であっても、そこまで意識するなんて、実はその相手にとても興味があって「大好き」ということなのです。

ちょっと嫌ですけどね、「あんなに嫌ってる相手のことを、実は私は『大好き』ですって?!」と怒りさえ感じます笑

でも、例えば、大好きだったからこそ、振られたりなど何かの原因で大嫌いになってしまう、なんてことありますよね。逆に、大嫌いだった相手に意外と素敵な面を発見して急に大好きになってしまったり。

そう考えると、「好き」と「嫌い」は同じ意味(エネルギー)、というのも何となく理解できる気がしませんか?

 

さて、「好き」と「嫌い」は同じ意味。

とすると、「好き」や「嫌い」の反対は何になるのでしょう?

それは、「無関心」です。

「無関心」は、意識や関心を全く相手に向けていません。「どうでもいい」んですね。

 

例えば、子供が悪さをするのは、親の気を引きたいからです。

「無関心」は愛されていないことを意味するので、何とかして関心を自分に向けたいんですね。

好かれないなら、怒られて嫌われるという形で、親の関心を求めるのです。関心があるということは、愛されているということですから。

こんな風に考えると、「好き」と「嫌い」は、感情の心地良さの違いはあれど、「関心がある」という意味では全く同じエネルギー、そしてその反対は「無関心」である、ということが腑に落ちてくると思います。

 

さてでは、これを私たち自身に応用してみましょう。

抵抗を感じるところを敢えて選ぶと、「母親」なんてどうでしょうか。

 

頑張り屋さんは、母親に対していろいろわだかまりがある方が多いですね。

私ももちろん、メルマガでも何度か触れている通り、長いこと母親が「大嫌い」でした。「憎悪」と言っても良いくらい。

「無関心」になれたことは一度もありません。ずっと、「大嫌い、大嫌い、大嫌い!」と、煮えたぎる怒りを母に向けていました。

一秒たりとも無関心になることはできないくらい、情熱的な「怒り」という関心を母に向け続けてきたのです。

 

そう。もう言い訳しません。

私は、本当は母が「大好き」だったのでした。

すごくすごく屈辱的ですけれど。

「どうでもいい」存在にはできなかったのです。それくらい、大好きで大好きで大好きだったのです。

でも、いろんな出来事を通じて、シンプルに「好き」でいられなくなってしまったんですよね。でも、「無関心」にはなれない。繋がりがないことにはできない。だって本当は大好きなのですから。

なので、「好き」の代わりに「嫌い」というネガティブなエネルギーを注ぎ続けることで、何とかして繋がっていようとしたのです

 

もちろん、今皆さんがお母さんへの怒りのさ中にいる場合、そんな話を聞いたところで

「そっかー、私はお母さんが大好きだったのか♪」

なんて納得できませんし、しようとしなくて大丈夫です。

ここで一番大事なのは、そのたくさんの怒りを丁寧に開放していくことです(こういう、とぐろを巻いた苦しい感情の解放は、一人でやるのが辛い場合はカウンセリングも検討してみてくださいね)。

 

ただ、同時におすすめしたいのは、「気持ち悪ーーー!!!」と思いつつも、「そうか、本当は、大好き、なのか。」ということを心の片隅にちょっとだけ置いておく、ということです。

で、これは、倫理的な意味からではなく、自分の心を楽にするため、なんですね。

というのは、相手を「嫌い!」と思っている時、心はもれなく「嫌いになってしまってごめんなさい」という罪悪感を感じています。そして、その罪悪感を感じたくないために、いろんな理由を付けて相手を悪者にし、自分が相手を嫌うことを正当化しようとします。

これがまた苦しいのです。心の中では自分が何をしているのか分かっているし、そんな自分は酷いヤツだ!と無意識のうちに自分を罰してしまいますからね。

なので、「そうか、本当は、大好き、だったのか」と心の中でちょっとだけでも知っておくと、お母さんにたくさんの怒りを持ちつつ、その正当化を試み、でもそんな自分サイテーだ、という苦しいサイクルにはまっている自分自身を、ちょっとだけ助けることになるのです。

 

というわけで。

「お母さん大嫌い」は「お母さん大好き」と同じ意味。ここには言い訳の余地は残念ながらありません☆

私たちは、「お母さん大好き」とは口が裂けても言えないけれど、「どうでもいい人」にすることはとてもじゃないけれどできないから、苦肉の策で「大嫌い」で繋がっているのです。

やっぱり可愛い娘なのですよ、私たちは、ね。

とても気持ち悪いですが、自分自身を楽にするためということで、心の片隅で覚えておいてみてください♪

閑話休題。

タチアオイの季節ですね!日本では梅雨の花だと思いますが、オランダではいよいよ夏本番!の花です。

でもここしばらくグズグズとしたお天気。青空が恋しいなぁ