「他人」について「気になる」ことは、「自分」について教えてくれている。

こんにちは、頑張り屋さんの女性を自由にするカウンセラー・コーチ、コバヤシアキコ@オランダです。

 

私たちの周りには本当にいろんな人がいます。

で、他人は当然自分とは違いますので、

こちらには理解できなかったり、そりゃー違うだろ、と思ったりなど、

何かしら「気になる」こともあったりします。

 

そんな、「他人」について「気になる」ことが、

実は、「自分自身」について教えてくれている?

というのが、今日のお話です。

 

例えば、周りの誰かについて、

  • 人に甘えるのは間違っている
  • いい年して若い格好をしているのは恥ずかしい
  • 誤字脱字はダメ

などなど、気になるポイントというのもいろいろありますね。

 

こんな風に、「他人」について「気になる」こと。

実は、「自分自身」のこと、だったりするのです。

 

どういうことかというと。

単純な「投影」の話なのですが、

要は、自分の中にないものは、他人の中に見ることもできない

んですよね。

 

ということは。

 

甘ったれな他人を見て、間違っている、と気になるのだとしたら、

実は、自分の中にも「甘えたい」思いがありそうです。

でもそれを、何かの理由から「甘えるなんて、だめ!」と「禁じている」ので、

他人が何のためらいもなく人に甘えているのを見ると、「気になる」のです。

 

知り合いが、やけに若々しい格好をしているのが気になるのだとしたら。

自分でも、本当は、年齢に関係なくもっとおしゃれを楽しみたい思いがあるのかもしれません。

でも、常識や周りの目などを強く気にして、「年相応」であることにとても気を付けているのかもしれません。

すると、知り合いが、気の向くままにおしゃれをしているのは、ちょっと忌々しく感じてしまいそうですね。

 

誰かのSNSの投稿の誤字脱字が気になるのだとしたら。

日頃から、きちんと、ちゃんと、正しく、を、とても強く心掛けているのでしょうね。

そうあることに、自分の存在価値すら見ているかもしれません。

すると、誰かが平気で誤字脱字をしていたら、自分のあり方を否定されているような感じがして、とても気になってしまいそうです。

 

もちろん、何か気になった時点で、

「それは間違っているから直した方が良いよ」

と伝えることもできます。

 

で、相手も直してくれればそれに越したことはないですが、

そのこと自体、相手にとっては「間違い」ですらない

ということも結構あるんですよね。

あるいは、「間違っていてもOK!」という価値感もあり得ますね(で、もちろんこちらからすれば、その価値感も「間違っている」ということになりますが)。

 

すると、どんなに気を遣ってやんわりと指摘したとしても、

「いや、あなたこそ間違っている」みたいに反論されて、関係がうまく行かなくなったり、

「これくらい良くない?」と、そもそも話が通じず、こちらのフラストレーションが溜まったり、

なんてこともあり得ます。

 

これはある意味、他人を正すことにエネルギーを使っている状態と言えますが、

それだとあまり良い結果にならないことも多いのです。

 

で、今日のお話。

もし、「他人」について「気になる」ことが「自分自身」について教えてくれているなら?

という目線で眺めてみると、見えてくることがたくさんあり、

今度は、「他人」ではなく「自分」にエネルギーを使ってあげられるようになります。

 

例えば、先ほどの例なら、

私はそんなにも強く、自分に「甘える」ことを禁じてきたんだな。

本当は、私も甘えたいのか。

なら、もう少し自分に「甘えること」を許してあげようかな。

なんてことができるようになるかもしれません。

 

本当は、年齢も気にせずピュアにおしゃれを楽しみたい、のだとすれば、

実は今までもそうやって、人目(母の目かな?)を気にして「自分」を表現してこなかった、むしろ隠してきた、なんてこともあるのかも。

多分本当は、ずっと華やかな魅力があるのだろうと思います。それを、頑張って隠してきたのかも。

それを、そろそろ表現してあげるタイミング、なのかもしれません。

 

いつも正しくなければいけない。

なぜそこまで、正しさで自分を武装する必要があったのでしょう?

正しくなければ、存在してはいけない?そんな恐怖を持つようになったのはいつからでしょう?

そんなところを理解してあげられると、自分にも他人にも、ずっとしなやかな余裕を持てるようになるかもしれません。

ずっと楽ちんに、いろんなことを「許せる」ようになるかもしれません。

 

こんな風に、それぞれに、

「他人」について何か「気になる」そのことが、

「自分」についての理解を深め、「自分」をさらに自由に楽にする「チャンス」をくれている

と見ることもできるんですね。

 

そうやって、他人ではなく自分にエネルギーを使ってあげられるようになると、

他人に振り回されなくなります(理屈としても当然ですけどね)。

地に足がついてくるのが感じられるようになります。

楽ちん、になります。自由、になります。

 

ならば、いつ、エネルギーの方向転換をして、自分を自由にしてあげましょうか。

あなた次第で、いつでも「変化」は起こせますよ♪

 

ちなみに、いつも言えることですが、

毎度例としてお話していることって、なるべく多くの方に当てはまりそうな感じで書いているので、

個別のケースにぴったり当てはまるとは限りません。別の解釈が当てはまることもたくさんあります。

なので、「私の場合はどう考えればいいんだろう?」という疑問は大いにあり得ます。

特に、自分に落とし込んで考えて行動してみようとすると、こういう疑問も湧きやすいです。

(つまり、この疑問を持つことができる人は、変化できる人、でもあります。素晴らしい疑問なんですよ!)

 

そんな疑問が湧いたときは、良かったらお手伝いさせてくださいね!

メルマガにお返事いただけたら、メルマガでそれにお返事する形でお答えすることもできますし(文字でできることは限られますが)、

セッションで、じっくり深めていくこともできます。

「私の場合はどう考えればいいんだろう?」という貴重な疑問を、是非無駄にしないでいただけたら良いな、と思っています。

 

あなたが、「変化」のリーダーシップを取っていけますように。

いつも、応援しています。

閑話休題。

運河の下をくぐる。