私たちはずっと「自分」ではなく「母」を見てきた

今回は、

私たちはずっと「自分」ではなく「母」を見てきた

というタイトルにしました。

 

母親に対していろいろわだかまりがある方は、

私の意見はいつも母に上書きされてしまっていた。
私はまるで母親のように母を受け止めてきた。
私はいつも母の顔色を伺っていた。

母が望む娘であろうといつも努力してきた。
私の人生は母のために捧げられてしまったようなものだ。

そんな風に感じて来られた方も多いかもしれません。

 

その一方で、きっと、そうならざるを得なかった母親の事情についても、たくさん努力して理解しようとしてこられていると思います。

あの時の母には全然余裕がなかったから、仕方なかったのだ。
母自身も、両親からそれほど幸せな扱いを受けたことはなかったのだろう。
母も娘をどう扱えばよいのか分からなかったに違いない。

そうやって、何とかして、「すべては仕方なかったこと」と水に流して、たくさんの苦しい記憶を「終わり」にしようとしてきたんですよね。

本当にたくさんの努力をしてこられましたね。

 

ここまで頑張ってきた中で、あなたの視線はずっと「母」にだけ注がれているのは分かりますか?

子供時代に、母のために一生懸命だった時も、
大人になってから、何とかして当時の母の事情を理解しようとしている時も、

目線は全て母に向かっているのですよね。

 

それも、娘としての優しさであり、愛情です。

 

でも、もうちょっと「自分自身」に目を向けてあげてもいいのかも。と、思ったりするのです。

特に、大人になってから、理性で当時のことを理解し、「仕方ない」と言って水に流そうとしている時は、自分の気持ちを「無視」しています。

もちろん「理解」が気持ちの整理を助けてくれることはたくさんあるので、それ自体はとても大切です。実際、相手を何も理解することなく、わだかまりを解消することはほとんど不可能かもしれません。

でも、無理やり「もう終わりにしなくちゃ!」とするために「理解」を使っているのだとしたら、苦しさはどうしてもそこに残り続けますね。

それでは、自分がちょっとかわいそう、かもしれません。

「理解」してあげることは、自分の気持ちを「ねじ伏せる」ためではなく、自分の気持ちを「楽にする」ため、人生を前に進めていくために、必要に応じて使えると良いですよね

 

そんなわけで、今回のオンラインセミナーは、「私の気持ち」を大切にする時間にしようと思っています

今まで母に向けてきた目線を、もっと自分に向けていきましょう。
自分を新しい目で理解することで、過去から自分を救い出し、解放してあげましょう。

そうやって少しずつ「自分」を「母」から自由にしてあげましょうね♪

 

オンラインでお会いできますこと、楽しみにしています☆

お申し込みはこちらからどうぞ♪

オンラインセミナー【母との葛藤を手放すワークショップ】
7月11日(土)20:00~22:00

 

(セミナーは終了しました。ご参加ありがとうございました)

閑話休題。

ひまわりだらけのデコ自転車。

この他にも、いくつか別の花のバリエーションも見たことがあります。