今週水曜日は投票に行きます。

オランダってすごい国だなぁと思うことの一つに、

外国人でも投票できる

というのがある。

 

正確には、

5年以上居住していないと投票権はもらえないのと、投票できるのは地方選のみで、国政での投票権はないのだけど、

それにしても、外国人でも投票できるって、すごい!と思う。

 

ところが、実は私は、日本に住んでいた30年の中で、投票したのは1回だけだ。

当時の同僚に、その時にあった選挙で投票に行かなかったという話をしたら、

「非国民!」

と(笑いながら)言われたけれど、その言葉にも全く何も感じなかった。

当時は、ただただ政治にも選挙にも興味がなかったのだと思う。

 

そんな私が、オランダでは、投票に行く気満々で、各政党の主義主張をしっかり読み込んでいる。

人って変わるもの(笑)

 

で、そんな時、その変化の背景にある心の状態に思いを馳せるのが趣味の私としては、

なんで私はオランダでは投票したいと思うようになったのかな~?

と考えるわけだ。

 

まず思いついたのは、一つには、

各政党の主張を理解しやすい仕組が整っている

というのはやっぱり大きい気がする。

今回の選挙の結果が、私の日常生活や、この街のこれからの姿にどんな影響を与えるんだろう?

ということが、とても具体的に分かるための仕組が充実しているので、当事者意識を持ちやすいのだ。

 

でも。

たとえオランダの政党の発信力やら仕組が優れていたとしても、

私が興味を持たなければ、やっぱり投票に行こうとは思わない

わけで。

 

その意味で、自分の行動の理由は、「外(政党の発信)」ではなく、「内(自分の中)」にある。

まぁ、これは、投票に限らず、どんなことでも言えるのだけど。

 

じゃ、その、内(自分の中)にある理由って、何かな?

と考えてみると。

 

多分、私自身が、自分が暮らす環境を大切にできるようになってきたから、なんだろうな、と思うのだ。

 

以前の私は、

こんなクズみたいな、どうでもいい人間の自分が暮らす環境なんて、クソどうでもいい

と思っていた(まぁ、乱暴な言葉遣い♡)。

 

なので、小さなところでは、自分が住んでいる部屋も大して掃除をしなかったし、

どんなに不愉快な友人関係や職場環境でも、そこから離れようともしなかった。

(そして、「そこで我慢できるのが大人」みたいな理屈で自分の現状を自分に対して正当化し、「どうでもいい」という絶望から目を逸らしていた、というのもある。)

 

そんな状態の私には、自分の住む街や国という、より大きな「環境」をより良きものにしていくなんて、

くっそどうでもいい

としか思えなかったのだ(あらまた乱暴♡)。

 

ちなみに、もっと言うと、

過去の私は、「どうにかなるし」「私は運がいいから」と嘯きながら、後先を考えない投げやりな行動をたくさんしていた(失敗も)。

そんな私の心の根っこにあったのは、やはりこの「どうでもいい」という感覚だったということが、今ならわかる。

自分が住む「環境」だけでなく、「人生そのもの」についても、「私の人生なんて所詮クソなんだから、クソどうでもいい」と、長いこと思っていて、それが、救いようのないほどクソ投げやりな行動に繋がっていたのだ。

(この際だから連発してみた♡)

 

その意味で、

今オランダで、いろんな政党の主張を読んで、投票するのを楽しみにしている自分は、

自分が住む環境に興味を持って、快適に整えることを自分に許し、
そのための影響力が自分にもあると知り、
それを喜びとともに受け入れ、
自分や、自分の人生の価値に真摯に向き合うことができるくらいには、

成長したんだな、と思う。

 

水曜日は、そんな自分を改めて嬉しく褒めながら投票しよう。

 

なんか、投票って、自分を褒める場とは全然違う気がするんだけど、

まぁ、良いじゃないか。

 

いろんなことの意味は、自分自身が大切に理解してあげれば、それで良いのだ。

 

(ちなみに今回のお話は、

日本の投票の仕組を批判したり、投票しない方を批判したり、投票しない人がみんな同じ感覚を持っていると一般化したり、などの意図は全くありません。

投票というイベントに関連した私自身の心の変化、という、とても個人的なお話ですので、そのようにご理解くださいね。)

角っこの可愛い建物。