私が友人を「選ぶ」ようになった話

今回は、

私が友人を「選ぶ」ようになった話

というタイトルにしてみました。

「頑張り屋さん」というより「イヤが言えない良い人」のあるあるかな?と考えながら決めたトピックです。

 

私が学生時代に長い時間を一緒に過ごした友人は、今思えばとてもデリカシーのない人でした笑

この人は、何事にもとても強い意見を持っている人だったんですね。

で、それだけなら良かったのですが、相手を自分の理屈で論破することが会話の主目的になっているような人でした。相手が反論できなくて口をつぐむまで、完膚なきまで相手の間違いを指摘したり自分の正しさを主張する感じです。

なので、こちらとしては会話がどうしても楽しくないんですよね。というか、どう考えても不愉快です笑

 

彼女は物事の考え方からファッションに至るまで、ありとあらゆることでその傾向があったのですが、一つとても良く覚えている出来事があります。

一時期私は気に入っていつもつけているネックレスがあったんですね。

で、たまたま思いついてちょっといつもとは違うやり方でつけていた日があったのです。普通はそんなつけ方はあまりしないのかもしれませんが、私はたまにはこういうつけ方も良いかなと思ってつけていたんですね。

それを見た彼女は、

「えー、なにそれ、変だよ」

と言いました。私は内心ムッとしつつ、感情的に怒るのはよろしくないので

「こんなのもいいかなと思って」

とだけ言って終わらせようとしました。でももちろん彼女は、私にそれが「変だ」ということを認めさせるまでは終わりにしませんから、今度は近くにいた別の友人に、

「ねぇ、これ絶対変だよねぇ?」

と同意を求めました。その別の友人は、あからさまに「変だ」というのはさすがに憚られると思ったのか、

「あぁ、うーん」

と言葉を濁しましたが、それを聞いた彼女は、

「ほらー、やっぱり変だよ、絶対変だよそんなの」

と畳みかけてきたのでした。

私はといえば、あまりの怒りに言葉も出てこず、黙っていることで私もそれが「変だ」と認めた形になったので彼女の目的も達成され、その会話は終わりになりました。

 

とまぁ、こんな風に、この友人との間では、イイ感じに感じの悪い(笑)思いをほとんど毎日していました。

 

この話だけでも、ツッコミどころがたくさんあるのはお気づきですよね。

まず、こういう友人の言動に対して、私は「我慢する」という方法しか知らなかったんですね。

例えば、この友人に「私は良いと思ってやっていることを頭ごなしに『変だ』と言われると悲しい」と自分の気持ちを伝えることもできたはずです。

でも、そうやって相手の意見に反対することは悪いことだと思っていたので、一切できませんでした。

 

また、そんなにいつも気分の悪い思いをしているなら、無理に一緒に時間を過ごす必要もなかったはずです。

でも、気分の悪い思いをしているのは自分の人間ができていないからで、普通の人はこれくらい笑い飛ばせるはずなので、これくらいのことで疎遠になるのは人間として間違っている、と思ってそれもできませんでした。

そんな風にして、結局私は「我慢」という選択肢しか自分に残さなかったのです。

 

これ、「イヤが言えない良い人」あるあるじゃないでしょうか?

全て自分が我慢することで解決しようとするんですよね。実際には不満と怒りがどんどん溜まるだけなので何の解決にもなっていないのですが。

 

ちなみに、この友人とは卒業してからもしばらく(結構長い間)何となく繋がりは保っていました。インターネットというのはまぁ便利なツールです。

でも、「イヤが言えない良い人」な頑張り屋さんの自分改革を始めてからしばらく経ったある時、

「気分の悪い思いをすると分かっているその状態に自分を奴隷みたいに繋いでおくことに、何の意味があるんだろ、あほくさ」

と思ったんですね。

不愉快な状況に対して我慢するしか対処法を知らなかった私が、やーっとやっと、それをやめても良いと思えるようになったのでした。

 

そもそも彼女には、こういう彼女が好きで繋がっているのが楽しいと思う友人が他にいるわけです。でも私には楽しくない。それから、彼女が何か言うたびにわざわざ「それには傷つく」と伝えるのも面倒でした。

ならば、さっさと彼女からは離れて、私が心地良いと感じる友人関係にエネルギーを集中した方が良いよね?と、卒業後10数年経ってやっと気付いたのでした。

もちろん特に絶縁宣言をしたとかそういう訳ではありません。ただフェードアウトしただけです。

 

もちろん普通に生活していれば、彼女以外にも「どうも合わない」とか一緒にいるだけでエネルギーがなくなるように感じるような人に出会うことはあります。

でも、自分が義理堅く無理やりそういう人と無理に一緒にいる必要はないのです。その人と一緒にいたいと思う人は他にいます。そして、どんな人と一緒に時間を過ごしたいかは自分で選ぶことができるのです。選んで良いのです。

今では私は、居心地が良く相手からの敬意も感じられる友人とだけ過ごすようにしています。そして、友人を自分で選ぶようになってから、自分で選んだ居心地の良い友人と過ごす時間を更に大切にできるようになりました。

 

こんな風に、あまり心地良くない友人関係で悩んでいる方は結構多いと思うんですよね。

そういう方を私がお手伝いするときは、

  • どんな友人(強い意見を持っていたりなど)が相手でも、まずは自分の心地良さを優先できるようになったり
  • 心地良くない状況からは自分から適度に距離を置けるようになる

ためのサポートをさせていただいています。

 

これができるようになると、職場の同僚など物理的に離れるのが難しい場合も、実際に距離を置かなくても心理的に快適な距離が取れるようになります。

そうなれたらずいぶん楽になりますよね。

(というか、結局「距離」って物理的な距離ではなく心理的な距離なんですよね。離れていても近しい人もいれば、近くにいるのにすごく遠く感じることってありますよね、そういうことです。)

 

最後にもう一つ。

こういう時、一番大事なのは「私はどうしたいか」です。「相手が変わってくれたらいいのにな」ではありません。だって、他人を変えることはできませんのでね。

なので、考えるべきは

  • これからも変わることのない相手の前で、それでも私は我慢し続けたいのかな?
  • それとも何かしら自分を守るアクションを取りたいのかな?

ということです。

この2つの質問は、応用すると人間関係だけでなく幅広く使える質問なので、何か問題に感じることがあるときは是非自分に問いかけてみてほしいです。

 

というわけで、友人は選びましょう。住む家だって靴だって洋服だって、好きなもの、心地良いものを選ぶのです。友人だって当然選ぶべきなのですよ。うふふ。

参考になればうれしいです。

閑話休題。

自転車さえ絵になるオランダです。

オランダでもトイレットペーパーの買い占めが始まったようです。近所のスーパーではトイレットペーパーの棚が空っぽになっていました。

人間の心理はどこもあまり変わらないのかもしれませんね。

こんなときこそ冷静にいつも通り、やるべきこと、自分にできることにフォーカスして過ごしたいものです。

(4月7日追記:このメルマガを配信した3月中旬はトイレットペーパーが不足していましたが、今では元に戻っています)