「自分が自分の味方になる」の意味…神になる?!

今回は、

「自分が自分の味方になる」の意味…神になる?!

というタイトルにしてみました。

スピ系の話では全然ありません。

 

「自分が自分の味方になってあげましょう」って、結構いろんなところで見かける言葉だと思うんですよね。

自己啓発系のテキストではしょっちゅう出てくるので、見たことがある方も多いのでは?

 

これ、今見て皆さんはどう感じますか?

「そうだな、自分が自分の味方になってあげないとね」って思いましたか?

すぐそう思った方、すごーく素直な方だと思います!是非その素直さを持ち続けてください、それは絶対あなたを助けてくれますから♪

 

以前の私はと言えばですね、

「えー、自分しか自分の味方がいないってこと?やだそんなの寂し過ぎる」

と、すっかりひねて、悲しくなっておりました。「自分が自分の味方になる」の意味が全然分からなかったんですよね。

それに実際、当時の私はとても強い孤独感を抱えていて、真っ暗闇の中にいつも一人ぼっちでいるような感覚でした(お付き合いしていた人はいたんですけどね)。

そんな感覚の時に「自分で自分の味方に」と言われても、自分しか自分を抱きしめてくれる人がいないという暗闇の中の自分の姿が一層際立つように感じただけで、何も救いにはなりませんでした。

今これを読んでくださっている方の中にも、そんな風に感じる方もちらほらいらっしゃるんじゃないかなぁ?と思ったりして、なので今回のテーマにしてみたのですが。

 

自分が自分の味方になる、って、どういう意味でしょうか?

今の私が当時の私に伝えるなら。

「暗闇の中で孤独を感じている自分」を、もう一人の私が神様の目線で見てあげること、と伝えてみるかな?と思います。

どういうことかと言うと、ちょっと高い位置から神様の目線で暗闇の中にいる自分を見ると、孤独や寂しさに苛まれている様子が客観的に良く分かると思うんですね。

そして、だからこそ「分かるよ、寂しいんだよね、孤独なんだよね」と言ってあげられるんじゃないかと思います。

「だいじょうぶだよ、少なくとも私はあなたの寂しさをちゃんと分かってあげているからね」と。

それが、自分で自分の味方になってあげることじゃないかな、と思うのですね。

 

そしてこれは結局、他の回でもよく言っている、自分の状態をそのまま認めることでもあります。

「あぁ、そっか、私は今寂しいんだな」(分かるよ、そりゃーさみしいよね)
「あぁ、今私は悲しいんだな」(そりゃそうだよ、悲しくなっちゃうよね)
「あれ、私は今だいぶ怒ってるみたいだな」(そうだよね、怒っちゃって当然だよ)

そんな風に、今の状態とか気持ちを善悪の判断をつけずにただ受け入れてあげることです。

寂しいなんて甘ったれたことを言ってはいけない、
悲しんでいる暇があったら動かなければいけない、
怒るなんて子供っぽいことは許されない、

とかいう判断(自分責め)をせず、ただ今の状態をそのまま認めてあげるということです。

だって、神様は断罪をする存在ではなくて、慈愛でもって受け入れる存在ですからね(ちなみに「甘やかす」のとはまた違います)。

その神様の目線になって自分を見てあげること、それが、自分で自分の味方になるということなのです。

 

つまり、自分が自分の味方になるということは、自分の状態を神様の目線でそのまま認めること、イコール自己肯定すること、なんですね。

そして面白いのは、そうやって、自分の味方になる=神になって(笑)そのまま認める=自己肯定する、を続けると、友達の数が増えなくても孤独感もどんどん減っていくということです。

結局孤独感というのは、自分が自分の味方でないから感じる感情とも言えるんですね。

 

ちなみにもう一つ言うと、そうやって自分の味方であり続けると、今度は現実の世界でも味方が増えます。というか、敵がいなくなります。

そうすると結局、「自分しか自分を抱きしめる人がいない」という私の誤解とは真逆の、自分を抱きしめてくれる人が周りにいる!という現実が見えてくるのです(物理的に抱きしめるかどうかは別として)。

面白いですよね!

 

神様の目線で自分を眺め、自分が自分自身の味方になってあげること、自己を肯定してあげること。

良いことづくめなので是非やってみてください。

参考になればうれしいです。

閑話休題。

郊外の、廃線になってしまった線路。

線路ってなんでこんなにロマンチックなんでしょう☆

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