自分のポンコツっぷりを認めるのに20年近くかかった話

今日は、

自分のポンコツっぷりを認めるのに20年近くかかった話

というタイトルにしてみました。

 

私のポンコツ、いつカミングアウトしようかずっと思案していたのですが、今回だな!と思いまして。

なんで今回その話をしようと思ったかと言うとですね、先日のメルマガで私は小さなミスを犯したのです。しょーもない小さなミスですが、気づかれた方いらっしゃいますか?

何かというと、いつも配信する際のタイトルに番号を振ってるのですが、昨日のは「0」が一つ多かったの。。

いやほんと、しょうもないミスですみません。

あぁ、言ってるそばから恥ずかしくってきゃー(照

そんなわけで、この話をするのにちょうど良いタイミングだな☆と思ったのでした笑

(あれ、もしかして私が気付いていなかっただけで、既に何かやらかしていましたかね??)

 

この類のしょーもないミス、私は昔からしょっちゅうやってます。仕事でもプライベートでも満載。

学生時代までは、テストで不注意ミスをするだけ(自分に結果が返ってくるだけ)だったのであまり意識しませんでしたが、社会人になって自分のミスが周りにも迷惑をかける場面が増えた頃から特に意識するようになりました。

書類の書き忘れ・間違いはお手の物なので、記入項目が多ければ多いほどプレッシャーを感じます。

なので、正確さが必要な作業はいつもひやひやしっぱなしです。そして、自分では細心の注意を払っているつもりなのに、いつも必ず何かの間違いが見つかります。

(まぁ、少なくともその注意のおかげで10個の間違いが5個くらいには減っているのだと思うのですけど)

忘れ物が多いのも自覚しているので、持ち物はいつも必要最低限に抑えています。でないと、どこで何を忘れてくるか分からないのです。

全然威張ることじゃないのですが、自分でもほんとに不思議なくらいいろいろ抜けているんですよね。

んー、ポンコツだわほんとに!

 

で。

以前は、「私ったらポンコツ☆」が全然許せませんでした。

だって一応優等生の端くれだと思っていましたし、そんな優秀な私が実はポンコツ☆なんて、アイデンティティの崩壊につながりかねません。

まぁそれは大袈裟としても、ミスが多い自分は世の中の迷惑になるだけなので存在してはいけない、くらいの感覚だったのです。恐怖、ですね。

 

たぶん私はには、

「優秀」な人はケアレスミスを絶対にしてはいけない。

ミスをする人間は、ミスするたびに世界から疎まれる。

何の間違いもしないパーフェクトな人間でなければ、世の中は自分の存在を許してくれない。

そんな思い込みがあったのだと思います。こんな思い込みがあったら、そりゃー自分がポンコツだなんて認められませんよね。

なんて恐ろしいプレッシャーを自分にかけていたんでしょうか笑

でも、「わかるー」という方も多いんじゃないかなぁ?と思っていますが、どうでしょう。

 

しかも、そんな思い込みを持っていたのと同時に、結局のところ私は何かしらミスをする人間だったわけですから、そのたびに

「またミスしちゃった、どうしよう、世間様は私をさらに邪魔者だと思うに違いない」

みたいに、自己否定の渦にイイ感じに落ち込んでいきました。

 

今思えば、こういう思い込みのさらに奥に、「私には存在価値がない」という思いがもともと心の中にあったんですね。

で、同時にたまたま私はミスの多い人でもありました。

なので、

手順1:「私はミスのないパーフェクトな人間でなければならない、ミスをしたら世の中から疎まれてしまう」という思い込みを握りしめつつ、

手順2:「何かとミスをする私」という事実を上記の思い込みと上手に掛け合わせ、

手順3:「あぁ、やっぱり私には存在価値がないのか」と再確認する、

という3ステップでもって、自分には価値がないという思いを自分に周到に繰り返し叩き込んでいたのです。

あいたたた~ですよ。

人はこういう茶番をよくやります。ほんと、人にはいろんな趣味がありますね笑

 

ちなみに、何度か「思い込み」という言葉を使っていますが、お気づきでしょうか?

「何の間違いもしないパーフェクトな人間でなければ、世の中は自分の存在を許してくれない」などですね。

もう一つ言うと、「自分には存在価値がない」というのももちろん思い込みです。

それから、「茶番」という言葉も使いました。

つまり、自分で勝手にそう思い込んで、自分で勝手に自分を苦しめる茶番をやってただけ☆なのです。

 

今回は、私のポンコツを例にお話ししましたが、こんなふうに自分の思い込みで自分を苦しめる茶番劇場を展開している方は意外と多いです。

どの思い込みもすごく真実っぽくて洗脳されちゃうんですよね!

私も、これらが思い込みであることに気づいて、私はミスをしがちというただの「事実」を受け入れられるようになるまでに20年近くかかってしまいました。

 

でも、このシンプルな事実を「わー、私ほんとにポンコツなんだー!こりゃ私にはどうしようもないわ」と受け入れられるようになったら、

必要以上に自分を責めなくなったし、

どうしてもミスをしがちな作業は無理に自分でやらずにとっとと誰かにお願いできるようになったし(これ、実務上も大事なことですね)、

なんなら「ポンコツの私も意外とかわいいね?!」とさえ思えるようにもなってきたし、

以前よりずーっと気持ちが楽になりました。

 

冒頭でお話した「0が一つ多かった」というしょうもないミスも、以前なら

「どうしよう、こんなアホみたいなミスをする私はみんなから無能の烙印を押されて社会から追放されるに違いない、どうかみんな気づきませんように、でも気づかれちゃったらどうしよう」

と震えるばかりで、メルマガみたいな場所で触れることはできなかったはずです。

でも、今は「きゃはー、やっぱりやっちゃいました、恥ずかし☆」なんて言えますからね。

いや、図々しくなりましたね笑

 

と、いうわけで。

本来ならシンプルなただの事実であるはずのことに、いろんな思い込みをくっつけて自分を苦しめる茶番をついついやりがちなみなさん。

「どれが思い込みなの?え、これももしかして思い込みなの?え、あれも?」

という疑問をまずは持ってみることが、その苦しさを緩めるきっかけになるんじゃないかと思います。

同時に、そのシンプルな事実は「私結局ポンコツだしね~☆」みたいに淡々と受け入れる練習もしてみると良いですね。例によっていつもの、「それが私の姿なのね」というふうにまるごと受け入れる、あれです。

というお話でした。

(あと、たぶんこれからも何かしらしょーもないミスしちゃいますけど、どうぞよろしく☆という予告でもありました笑)

参考になればうれしいです。

閑話休題。

以前歩いていたら見かけたネコさん。首輪をしているので飼い猫ですね(自由に外を歩き回ってましたが)。

なんだかやけに凛々しい顔をしていらっしゃいました笑