ココロノマルシェ「過干渉の母から逃げるため、家出を考えています。」~ご相談にお返事

計画的なようで無茶な選択肢が、
「大丈夫」かどうかをいろいろ考えてみます。

 

自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。

 

オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。

 

「過干渉母から逃げるため、家出を考えています。」

今回は、オンラインカウンセリングサイト「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談にお返事します。

過干渉母から逃げるため、家出を考えています。

初めて相談させていただきます。現在21歳の大学生(女)です。母とは2人暮らしをしています。両親は10年前に離婚しており、きょうだいはおりません。

タイトルの通りですが、過干渉でヒス気味な母から逃げるべく、家出をしようかと考えております。家出と言っても、無計画に飛び出すというよりは、いろいろ考えて計画的に出ようといったものです。
実は家出を考えたのは今回が初めてではないのですが、相談できる人もいないし、誰にも相談しないのもちょっとなぁ?と思ったので、この状況で家出を選んで大丈夫なのか、を客観的に見て頂きたいです。(背中を押してほしいだけかもしれません笑)

母からされて嫌だったことはたくさんありますが、家出をしたいと思うに至った点は、
・私への就職先の押し付け(公務員以外許さないと10年前から言われている)
・母は健康で、5年かけて資格も取得したのに年齢により採用されない?ため働かない
・生活保護だけではお金が足りないため、生活費に奨学金を使い込まれている(学費は払えています)
・(あるあるかもですが)否定することが多い
・「指示に従ってればいい」「親の言うことを聞かないのは甘えだ」などのモラ的発言もちらほら
・今はかなり古い家に住んでおり、最近上の階からの水漏れ騒動があったが、不動産屋の対応が最悪なものだった→それでも母は状況を変えようとはせず、この家に住み続けようとする
(私の就職先や奨学金については本人に指摘したこともありますが、ただ私のことを悪く言うだけなので話し合いにもなりませんし、何しろ私が傷つくのでもう何も言うつもりはありません…なので手段が家出しかないなぁ、といった感じです)

特に最後の「それでも母は状況を変えようとはせず、この家に住み続けようとする」という部分で、これって投影なのでは?この状況を変えようとせず、言いなりとなって、公務員試験の勉強をしている私も一緒では?と思い、今回の家出計画にいたりました……。このきっかけを得るために急に水漏れが起きたのかな?などとも踏んでいます。

とはいえ、こうなるまでなぜ実家暮らしができていたかというと、「公務員として就職したら即この家を出よう、あと少し我慢すれば自由だから、その後は連絡を取らず、やりたいこともあるし、転職でも結婚でも、ライフワークを模索して好きに生きよう」と思っていたからなんです。
ですが、その手段で家を出ようとすると今から約2年弱かかるんですが、この2年を、「たった2年だし頑張ろう」と思うか「まだ2年もある…」と思うかについて、私は後者だな、と感じます。いつかは公務員を辞めるにしても、それまでの間働くのは私だし、別のやりたいこともあります。が、やりたいのはクリエイティブ系の活動だし技術も全く無く…なので、新卒だろうとしばらくはアルバイト等で生きていき(正社員願望が最初から無い)、いずれはそっちの道に進んでいきたいというのが私の思いです。めちゃくちゃ怖いけど…。ずっとやりたかったことでもあるので……。(未知だから怖いのかな?本気だから怖いのかな?どっちなんでしょう?)
大学はあと1年半ほどありますが、単位が本当にあと少しなので、こちらはちゃんと卒業したい!最後まで頑張りたい!という前向きな気持ち100%です!笑(公務員との差が凄い)
就職するまで待てばいいのでは?と思われるかもしれませんが、私は正直待てません!笑最近は胃痛や頭痛もちょくちょくあるし……。

家出について具体的には、奨学金の余りですが少しは貯金的なものがあるので、それを使って実家にいるうちにシェアハウス(個室付き)を契約し、そちらに転がり込んだのちはすぐにバイトを見つけて生きていこうかなぁ、という計画的なようで無茶な作戦で行こうかなぁと思う次第です。無茶な割に、ここさえ乗り越えれば何とかなるやろ、と楽観的な自分もいます。笑

かなり長くなってしまいましたが、以上が私の状況と心情、その他もろもろ、です。文章がとっちらかっててすいません。これらを客観的に見てどうなのか、と、何か今後のアドバイスなどもあれば教えていただきたいです。
笑、とか付けてますが実際やるとなるとめちゃくちゃ怖いので、この怖さをぶち破るアドバイスなども欲しいです。よろしくお願いします!

(Nさん)

 

Nさん、こんにちは。

オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコと申します。

 

もともとは、普通に堅実で無難な方法を考えていたけれど、

あと2年も我慢してまで、その無難なプロセスに従う気力が湧かなくなってきちゃった感じでしょうか。

 

そして、

そんな無難なやり方よりも、やっぱりもうさっさと過干渉のお母さんから離れて自分自身の人生を生き始めたい!

という気持ちがどんどん高まってきているのかな?と思いました。

 

でもそこで、

ただ勢いに任せて本当にこのまま突き進んじゃって良いのか?という不安や怖さもあり、

こうしてご相談くださったのかな、と思いました。

 

実は私自身も、

就職氷河期と言われる世代にあたるのですが、就職活動もせずフリーターをやっていたらほいほいとご縁が繋がって仕事を見つけたり、

アメリカ⇒トルコ⇒オランダと流れ歩いたりしながら、

まぁ私ってだいたい何とかなっちゃうんだよね、という、

謎に根拠のない楽観性だけで生きてきたようなところがありまして(そしていつも本当にどうにかなっちゃう)、

Nさんに通じるものを個人的にも感じ、背中を押させていただきたいな♡と思いました。

私のお返事はこちら↓です。お役に立てれば嬉しいです♡

 

たくさんご自身と向き合っていらっしゃいますね!

まずNさん、既にたくさんご自身と向き合っていらっしゃいますね!

 

例えば、

「何か分からないけどとにかく嫌で仕方ない~!でもどうしたらよいのかも分からない~!お母さんのせいで~!」

みたいに、ネガティブな感情に溺れて思考停止になるのではなく、

お母さんと向き合い意思疎通する努力も恐らく既にたくさんしてきて、

お母さんとの関係の中で、何がご自身にとっての難しさを作っているのか理解しているのもすごいし、

 

そこを抜けて自分の意志で人生を選んで生きるために、

「どうすればいいですか?」と解決策をカウンセラーに丸ごと求めるのではなく、

ご自分でそのステップ(まずは計画的に家を出る)を導き出しているのも素晴らしいです。

 

それから、

お母さんに対して感じることが「投影」ではないかとご自分で分析し、

それをご自分の行動を変えるきっかけにしているのも、

もはやブラボー!な行動力ですね。

 

同時に、

勢いだけでとりゃー!と突き進むのではなく(それはそれでOKだし素敵なことなんですが)、

カウンセラーなどの第三者の客観的な視点も得ておこう、という冷静さもお持ちです。

 

ご相談文を読んで、私は個人的に、

そんな賢さや冷静さや内省力や行動力と、

「計画的なようで無茶」なことをやっちゃおう!という元気なエネルギーをたっぷりお持ちのNさんは、

どこに行って何をやっても生きていけるのでは☆

という印象を受けましたけども!

 

でもそれだけだとちょっと物足りないと思うので、さらに行きます♡

 

「大丈夫」って、どんな意味?⇒客観ではなく、主観。

まず最初に、とても大切なこと。

そもそも、Nさんは、「大丈夫」ってどんな意味で使っていらっしゃるでしょう?

 

例えば、

直近はシェアハウスで問題なく暮らしながら、バイトで生活費も学費もちゃんと賄えるし卒業もできるし、

そのうちクリエイティブ系の技術も身につけて、希望する仕事もゲットして生活できるようにもなるし、

全部、それほどの苦労もなくうまくいくから、大丈夫、という感じでしょうか?

 

だとすると、

それは、分かりません。

それは、未来における結果論ですのでね。

 

実際には、

シェアハウス探しでつまづくこともあるかもしれないし、

バイトと大学の両立が思ったよりも大変かもしれないし、

クリエイティブ系の勉強や資格を取得しても、希望するような仕事はすぐには見つからないかもしれないし、

その間、そこまで興味のない、何か別の仕事で間をつなぐ必要も出るかもしれません。

 

じゃ、それが「大丈夫じゃない」のかというと、そういうわけでもないんですよね。

それだと大丈夫じゃない人もいれば、それでも大丈夫な人もいるのです。

 

大丈夫じゃない人というのは、例えば、

うまくいっていない気がするときに、心が折れて立て直すことができなかったり、

その時々の選択や決断を悔んだり、つい誰かのせいにしちゃったりして、

どうにかなる前、大丈夫になる前に、諦めちゃう感じ。

 

それはつまり、自分の決断も、自分自身をも信じ切れていない、ということでもあります。

 

逆に大丈夫な人はというと、

最初に期待した流れになっていない気がしても、

その時々の目の前のことをやり切ったり、別の選択肢を見つけてきたり、適宜周りに助けを求めたりして、

なんだかんだどうにかしちゃう、大丈夫にしちゃう、んですね。

 

で、なんでそれができるかというと、

私って何があってもなんとかしちゃうんだよね、と、

なんだかんだ自分を信じられていて、自分の選択に責任を持つことができているから、なのです。

 

つまり、

「大丈夫」って、客観的に判断するというよりは、

自分の中にある、とても主観的な感覚だと思うんですね。

 

Nさんにお聞きしてみたいこと。

なので、

この状況で家出を選んで大丈夫なのか、を客観的に見て(ほしい)

ということでしたが、

もし私がNさんとセッションでお話させていただくとしたら、

Nさんご自身がご自分をどれくらい信じられているかな?

ご自身の選択の責任は取れそうかな?

というところを探ってみたいなと思いました。

 

それが、Nさんの「大丈夫」を作りますのでね。

 

とはいえ、こんなところ↓からは、

無茶な割に、ここさえ乗り越えれば何とかなるやろ、と楽観的な自分もいます。笑

理屈抜きにご自分を信頼する感覚を、既に「知って」いらっしゃるようにも見えますけれどね!

そう感じられているとすれば、これは本当に「強い」です。

やっぱりNさん、頼もしいですね!

 

もしここをさらにイジワルに(♡)確認するとしたら、

「何とかなるやろ」は、「私なら何とかするやろ」という感覚でもある?

「何とかなるやろ」には、「状況が勝手にうまくいってくれるやろ」みたいな、

ちょっと現実離れしたファンタジー的な期待は入ってたりしない?

その期待にすがって、見るべき現実を見ていない感覚はあったりしない?

なんてところをお聞きするかもしれません。

 

それから、こんなところ↓からは、

この2年を、「たった2年だし頑張ろう」と思うか「まだ2年もある…」と思うかについて、私は後者だな、と感じます。

いずれはそっちの道に進んでいきたいというのが私の思いです。

こちらはちゃんと卒業したい!最後まで頑張りたい!という前向きな気持ち100%です!笑(公務員との差が凄い)

就職するまで待てばいいのでは?と思われるかもしれませんが、私は正直待てません!

Nさんご自身の中でいろんなことへの答えが出ていて、

やはりそれをご自身でも信じられているようにも感じられます。

 

そんな風に、

自分の中での答えと繋がれていればいるほど、自分の選択への責任も自然と取れるようになるんですよね。

 

なので、やはりセッションでNさんとお話することがあれば、

これらの答えの、Nさんにとっての「真実味」はいかほどか?

それらの答えとどれほど繋がれているか?

(今の状態から逃げたい一心で、とりあえず答えっぽいものにすがっているような感覚はないか?

自分の中に言い訳めいた感覚はないか?)

なんてところを探ってみたいなぁと思います。

 

ちなみに、

自分の中で答えとしっかり繋がれていないと(自分軸で答えを出せていないと)、

「やっぱりそれはあまりにリスクが大きいから止めておいた方が良いのでは」みたいな「客観的」なアドバイスを受けた時、

「やっぱりそっかぁ、じゃ、やめておこうかな」となったりもしがちです。

Nさんの心はどんな反応をしそうでしょうか?

 

とはいえ、100%こうだから大丈夫!ということもやっぱりないものですけどね!

怖さもあるし、自分の決断のはずなのに時には揺らいじゃうということだってあるでしょう。

 

それでも「大丈夫」であるためには、やっぱり、

Nさんご自身が、「私なら大丈夫」と信じ続けることと、

ご自分の決断に責任を取り続けること(何であれ、何とかなるまで行動し続けること)、

なんじゃないかしら、と、思うのですな。

 

私の話をちょっとだけ。

例として、

私の経験をなるべくかいつまんでお話ししてみます。

 

大学を卒業するとき、私は就職活動をしませんでした。

どうも、これから社会に出て「自分の人生」を作っていくという時に、

みんなで同じようにリクルートスーツを着て同じように面接会場に行って、という、

同じようなやり方で進んで行くことが解せなかったのです(この時点でたぶん私は大いに社会不適合者ね笑)。

 

なので、周りのみんなが真っ当な会社に就職する中、当時の私は、

普通に就職はしないで、適宜生き延びる☆

と決めました。

私なら生き延びちゃうだろうと思っていました。

 

バイトをいくつも掛け持ちして、毎日何かしら働きました。

そしたら、その中からあれよあれよとご縁が繋がって、就職が決まってしまいました。

 

バイトのつてで仕事を見つける、なんてことは、全然予定も期待もしていなかったのですが、

自分が決めたこと(とりあえず生き延びる)に淡々と取り組んでいたら、その結果が自然と得られた感じです。

 

その後も、

アメリカに行ったり、トルコに行ったり、そしてオランダに来ましたが、

毎回、とてもアホでリスクが大きくて、普通ならぜんぜん大丈夫じゃなさそうなことを選んできました。

 

でも、

それぞれのタイミングで、「これが、今の私が選びたいこと」という自分の答えに誠実に、目の前のことに取り組んだら、

アメリカからトルコに行くつてを見つけたり、
トルコの現地レストランでダンサーの仕事を見つけたり、
オランダのビザの取り方を教えてもらったり、と、

大丈夫な現実がちゃんとついてきました。

 

なので、今回私がお話したことは、

私が今までの経験の中で実感していることでもあるのです。

 

私がたまたま運が良かったから?分かりません。

「私ならなんとかしちゃう」という思いの中には、

「私ってなぜかいつも運がいい」となぜか信じられている感覚もあります。

これも、自分を信じる感覚の一つだとも思います。

 

(たまに、現実を見たくないばかりに、この感覚にすがって失敗するんですけどね!

なのでこの感覚の見極めや使い方も注意がいりますけども)

 

少しは参考になるでしょうか?

 

「怖さ」をぶち破るには?

最後に、

この怖さをぶち破るアドバイスなども欲しいです。

ということで、「怖さ」について。

 

Nさんはこんな風にも書いてくださいました。

実際やるとなるとめちゃくちゃ怖い

そりゃ怖かろうと思います。

未知だから怖いのかな?本気だから怖いのかな?どっちなんでしょう?

両方ということもあるんじゃないかな?

未知のものは怖いし、本気であるほど怖いです。

 

しかもNさんは、みんながやるような、無難で堅実な方法ではなく、

計画的なようで無茶

な作戦でいこうとしているわけです。

そりゃ怖いよね、と思うのですよ。

 

確かに、怖さがなくなれば、迷うことなく進むことができてありがたいですよね。

でも実際には、怖さがすっかりなくなることは、あんまりないんじゃないかな?と思ったりもします。

 

そして実は、

怖くて仕方なくて、「ひー!怖いよ怖いよ!」とか言いながら、

それでも怖さと共に進むのも、あり、なのです。

 

バンジージャンプって、

「いや無理怖いやっぱやだーっ!ぎゃー!」なんて叫びながら、怖がりながら飛び出すと思うんですね。

そんな感じ。

 

つまり、怖さをぶち破る、というのは、

怖さを力業で克服する、怖いという感情をなくす、というよりは、

自分の怖さを受け入れ、抱きしめてあげながら、怖さと共に進む。

怖いもんは怖い。けれども、怖くても、私は私の真実を生きる。

ということじゃないかな、と私は思っています。

 

とりあえず、生きてれば大抵のことは大丈夫です♡

という感じで、

いろいろ書きましたけどね、ぶっちゃけね、

死にゃしないから、まぁたいがいのことはだいじょぶだよ!

と、およそ非常識な生き方しかしてこなかった私からはお伝えしたいです。

 

生きてれば、自分の人生を諦めなければ、道は開けます。

自分と、自分の選択を信じて行動すれば、何かしらの結果はついてきます。

そんなもんです♡

 

そんなところを、Nさんへの心からの応援としてお送りします。

Nさんが、ご自身が一番ハッピーな生き方を作っていけますように。

応援してますね!

 

お読みいただき、ありがとうございました♡

コバヤシアキコ

 

(私のセッション情報は、こちらでご確認いただけます。)

 

今日の一枚。

(インスタグラムより)

何撮ってもきれい。