「認めてほしい」という気持ち、「承認欲求」の話

今日は「認めてほしい」という気持ち、つまり「承認欲求」の話です。

 

承認欲求って、程度の差こそあれ誰しも持っているものです。

なので、それ自体何も悪いものではありません。

でも、これがあまりに強すぎると、ちょっと人間関係がごちゃごちゃしたりします

それで、承認欲求そのものを忌み嫌う人も少なからずいらっしゃいますね。

 

例えば、自分の承認欲求が強すぎるとき。

かまってちゃんになってしまったり、つい上から目線になってしまったり、競争心を燃やしては嫉妬に苦しんだり、負けたら劣等感に苦しんだり、

そしてそんな自分に疲れて周りを批判したくなったり、そんな自分が情けなくて自己嫌悪のループにはまったり。

自分の「認めてほしい」という欲求に自分が振り回されるんですね。

そして、周りの人からも「なんか面倒な人」と思われて距離ができてしまったりもします。

 

承認欲求も「ほどほど」であればOKですが、こんな風に強すぎると、ちょっと面倒な感じになったりするんですね。

 

承認欲求を満たすには、誰かから褒めてもらったり認めてもらえれば、確かにその場では満たすことができます

が、どれだけ周りから認めてもらっても、根本的な解決にはならないのがくせ者です。

というのは、自分で自分を認めていない限り、他者からの承認は結局は「その場しのぎ」にしかならないんですね。

欠けた器に他人からの承認を注ぎ続けているようなものなので、その欠けた部分を直さない限り、どれだけ注いでも満ち足りず、際限なく「私を認めて!私を褒めて!」と周りに求めてしまうのです。

それが「面倒」と思われることにもなるんですね。

 

では、どうすればこのループから抜けていけるか?というと。

器の欠けた部分を直す、ということになります。

それが、「自己承認」なんですね。

自分を認めることで器の欠けた部分を直し、周りからの承認を際限なくもらわなくてもOK!な人になれば良いのです。

 

そう聞くと、「人からの承認が不公平に足りてないから求めてるのに!」という気持ちになるでしょうか?

でも、その「足りてない」という思いが、実は「人からの承認の不足」ではなく、「自分の器の欠けた部分」から来ている、としたら。

むしろ、人に承認を期待しすぎて消耗することが止められるチャーンス!(なのかも!?)と思えてこないでしょうか。

 

自分で自分を認めることは、自分の中にある承認欲求から自由になることでもあります。

そうやって自分で自分を自由にしてあげることができたら、素敵だなと思いませんか?

 

今回のワークショップでは、そうやって「自分を認める」ための視点をいろいろ得ていただこうと思っています。

自分で自分の器を直せる成熟したあり方を、ご一緒に身につけましょう♪

詳細はこちらから☆

自分を丸ごと肯定し好きになって自信を感じるワークショップ (終了しました。ありがとうございました)

(それから、どうしても人から承認してもらうことが諦められない!という時は、その思いを是非聞かせてください♪)

閑話休題。

ちょっと郊外まで行くと、風車のあるのどかな風景に出会えます。