人に合わせていると、やっぱり「自分が分からない」感覚になる

ここ何回か、何となくシリーズ化している

「自分が分からない」感覚

について、今日も書いてみます。

 

これまでの記事はこちら↓

⇒「本来の自分とはちょっと違うキャラ」を知らないうちに演じて、自分が分からなくなっている?

⇒人の目を気にし過ぎると、やっぱり「自分が分からない」感覚になる

⇒人と自分を比較していると、やっぱり「自分が分からない」感覚になる

 

今日は、

人に合わせすぎるとき

のお話。これはもう、自覚のある方も多いのではないかと思うんですよね。

 

例えば、

ランチに何を食べたい?
休日にどこに行きたい?
インテリアに何を選びたい?

などなど、日頃から自分の意志や希望を元に何かを選ぶ場面はとても多いです。

 

そして、そんな場面で

「○○ちゃんの好きな所でいいよ」
「彼君が行きたいところに行こうよ」
「夫君が好きなのはどれ?」

と、いつも相手を優先してあげる方も、多いのではないでしょうか?

しかも、こういう方は、「相手が好きそうなこと、希望しそうなもの」を察するのもとても上手だったりもするんですよね!

 

で、「相手の希望に合わせてあげる」時って、「自分の希望」は自然と無視されます。

「ないこと」になってしまうんですね。

それが続くことで、自分の意志や希望が分からない、つまり「自分が分からない」感覚になったりするんですよね。

 

こういう時って、自分が尊重されていない、という不満も溜まりやすくなります。

でも、尊重されたい「自分の希望」が何なのかがまたよく分からないので、

実際に希望を聞かれても、咄嗟に出てこなくて、そんな自分が情けなくなったり

そのことがまた「都合の良い人扱い」を招いたりして、さらに不満が溜まったり

なんてこともありますね。

 

そもそも、なぜこんなにも、自分の意志や希望を無視して、相手の希望を尊重してあげる(そしてその結果、「自分が分からない」感覚になる)のでしょう?

やっぱり、「優しい」、んですよね。

相手が喜んでくれることが、嬉しい、のです。

それなら、まぁ、いっか、って思っちゃうのです。

 

まずはその、

そんなにも優しくなれちゃう、器の大きさ

を、受け取ってあげたいですね。

たとえ心の片隅で不満をためながらであっても、みんながみんな、そこまで優しくなれるわけではないのですもの。

信じられないかもしれないけど、ほんとですよ☆

 

それからもちろん、過去には、

自分の希望を言ったら「わがまま」とお母さんから言われた、とか、

「お姉ちゃんなんだから」と、いつも我慢することを強いられた、など、

「自分が希望を持って伝えるなんて、悪いこと」と思うようになった背景もいろいろあったことでしょう。

そこには、たくさんの悲しい思い、悔しい思いもあったはずです。

その思いにも丁寧に寄り添ってあげたいですね。

当時の自分がどれだけ悲しく悔しい思いをしたのか、今の自分が理解してあげられると良いですね

 

そして、

「わがまま」「お姉ちゃんなんだから」と言われて、悲しく悔しい思いをしているその子に、今の自分から

「これからは、あなたの希望も尊重されていい」と伝えてあげるつもりで、

今の生活の中で、今の自分の声を聞き、その希望を叶えてあげます

 

最初は、自分の中で完結することの方がやりやすいと思います。

今日、一人で食べるおやつは、私は何が食べたいんだろう?

とか、そういうことですね。

そうやって、自分の希望を知り、自分でそれを叶える練習をしていきます。

 

そして、少しずつそれに慣れてきたら、今度は相手がいる場面でも、自分の希望を伝えてみる練習をしていきます。

これを始めるときは、緊張すると思いますよ!

でも、できるようになってくると、それはそれは幸せな自信につながります。

自分で自分を大切にできている実感が深まるのです♪

 

(ちなみにこれは、「自分の希望をごり押しする」わけではありません。

相手の希望と一緒に、自分の希望もその場の選択肢にしてあげる、ということです。)

 

そうやって、相手に合わせるばかりの中で見失ってしまった「わたし」との繋がりを、

少しずつ取り戻していきましょうね!

 

どこまでも(自覚なく)優しい頑張り屋さんが、

自分の希望も、相手の希望と同じように、自然に幸せに尊重してあげられますように。

いつも、応援しています。

閑話休題。

ワンコたちのご挨拶。