今回は、
母から得られなかったものをパートナー(夫・彼)に求めて、関係性を壊しちゃう?!
というお話です。
【母親との葛藤を手放すワークショップ】についてご質問をいただきまして、直接ご返信を差し上げたのですが、そこから私自身の経験とも関連してちょっと思いついたネタです。
よく、自分の父親に似た人を彼・夫に選ぶなんていう話がありますね。これと同じ話で、自分の母親みたいな人を夫・彼に選ぶなんてこともあります。
で、逆に、父や母にたくさんの不満があった場合、父や母がくれなかったものをパートナー(夫・彼)に求めてしまうというのも、実にあるあるです。
どちらもごく無意識にやっていることなのですが、特に親への「不満」をパートナーにぶつけてしまうと、問題になってしまうこともありますよね、という話です。
例えば「ネグレクトとか、とても忙しい母・父」の元で、強い寂しさを抱えながら育った場合。
パートナーに強く執着・束縛したり、べったりと甘えたり、なんてことが出てきます。これは、父・母からもらえなかった親密感・愛されている感をパートナーに求めているんですよね。
最初のうちは、パートナーも「こんなに甘えてきて可愛いなぁ」なんて風に可愛がってくれたりもします。
が、それが続くと、彼の方も負担に感じ始めるんですよね。だって、彼はそもそも「お父さん」「お母さん」ではありませんのでね。
そしていつしか彼は、その「甘え」を「重たい」と感じるようになって気持ちが離れしまったりします。
私の場合は、「母に分かってもらえなかった」という悲しさから、「どんなことでも理解してくれる知性と洞察力と広い視野のある人」というのにとても強く執着していました。
そして、パートナーが何か少しでも「分かってない」と感じると、それだけでシャッターを下ろしてしまって別れる、なんてことを繰り返していたんですね。
そして同時に、「やっぱり誰も私を分かってくれない」という思いも強めていくことになりました(自業自得なのに!)。
実は今のパートナーとも、これが原因で別れる直前まで行ったのですが、たまたま既に心の勉強をしていて自分の心の中も分かるようになっていたので、別れを回避することができたんですね。
そうでなかったら「誰も私を分かってくれない」ストーリーをまた一つ増やしていたと思います(冷汗
これ以外にも、本当に気づかないうちに、親に求めていたものを代わりにパートナーに求めてしまう、ということはたくさんあります。
では、こんな風に、母や父からもらえなかったものをパートナーに求めている時、私たちは何をしているのでしょう?
それは。
パートナーと自分の関係を、「母と自分」とか「父と自分」のように見ている、つまり無意識のうちに「娘」のように振舞っている、のです。
なので、せっかくのパートナーとの関係が、大人の男女の対等な関係にならないんですね。パートナーがいつも与える人、自分が求める人(場合によっては奪う人)、という、まさに親子のような関係になっています。
お互い、ちょっと寂しい感じになってしまうんですね。
でもですね。
これ、逆に言うと、
母・父に求めても得られなかったものを、パートナーから得ようとしていたこと(多分それはパートナーにはちょっと負担になることが多いこと)を理解し、
同時に、母・父から欲しいものが得られなかった悲しみを、パートナーに満たしてもらおうとせずに自分で受け止めることができてくると、
自分を「娘」のポジションから卒業させてあげることができるようになる、
ということでもあります。
これは、「大人の女性」としての自信をとても深めてくれるんですね。
すると、パートナーと自分の関係がより対等になり、より成熟した「大人同士」の関係に深めていくことができるようになります。自分も、パートナーに「求める」だけでなく、「与える」ことができる「大人」に成長していけるのです。
なんて素敵!と思いませんか?
私はこれは、心を学び始めて良かったとつくづく思うことの一つなんですよね。
今回のオンラインセミナーは「母親との葛藤を手放す」ことがテーマで、パートナーシップ(夫婦関係・恋愛)を直接扱うものではありません。
が、母との関係はこんな風にパートナーシップにもそれは大きな影響を持つものなので、母親に対するわだかまりを整理整頓することで、自分の自信やパートナーシップにも良い風が流れ込んだりしますよ♪
ということで、今回のメルマガはそんなお話を書いてみたのでした。
お申込み、引き続き受付中です♪
↓
オンラインセミナー【母との葛藤を手放すワークショップ】
7月11日(土)20:00~22:00
オンラインでお会いできますこと、楽しみにしています☆
(セミナーは終了しました。ご参加ありがとうございました。)
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閑話休題。
晴れたらとりあえず運河沿いに座ってうらうらしておけば良い!
コーヒーかワインでもあれば、なお良い!
そんな感じの、とある午後の風景。