自分で自分が分かりません。自分を持て余しています。~ココロノマルシェのご相談

人嫌い、なのに人が好き。
自分で自分が分からない。
自分を持て余しています。

そんなご相談にお返事しました。

 

自分迷子な大人女子さんに、「わたし」を生きる最高のよろこびを。

 

オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコです。

 

 

ご相談:「自分を持て余しています」

今回は、オンラインカウンセリングサイト「ココロノマルシェ」に寄せられたご相談にお返事します。

自分を持て余しています

いつもありがとうございます。
人嫌いなのに人が好き、という矛盾した感情で悩んでいます。
34歳女性で、コミュニケーション能力は低めで相手の話を聞くより自分が話したいことを話す(しかも毒舌気味)という自覚があります。毒舌を抑えるため、普段はほぼ家族とだけしゃべり、上司や同僚とも最低限の会話です。家族(既婚です)にはよく喋ります。家でも歌を歌いまくったりノリノリです。中学生まではノリノリの体育会系部活にいましたが、いじめの輪に加担してしまい(中心ではなかったのですが)、反省して高校生は(中高一貫)文化系の友達の輪に入れてもらいましたが、結局いじめた子の友達などから「なんで同じグループにいるかわからない」とか聞こえるように言われるくらい、自分の振る舞いに無自覚なところがあります。今も客観的に自分を見るのは苦手ですし、高校生以降人と仲良くなるのも苦手で、友達は0人です。結婚相手は結婚相談所で見つけました。家族と仕事のみエネルギーを注げばいいため、かなり尽くしており、今のところ家族仲はいいと思います(多分)。

先日、傾聴研修(オンライン)があったのですが、グループワークでなかなか集中できず、自分の話したくないこと(子供の頃の思い出など)を話さなくてはいけなくなったためか、ずーっと不必要にニコニコしてしまい、相手に「悲しい話もニコニコしててわからない」と変な人扱いされてしまいました。私も自分で自分がよくわかりません。その他にも、頑張ってグループワークをやったのですが、頑張って参加すると頬が赤くなったりしていて、まさか発情してるのか?(グループは男性ばかり)と思ったり、やはり自分がわかりません。研修なのによく思われたいとか思ってしまっていて、終わったらどっと疲れます。変な人扱いされた、ニコニコしなきゃよかった、なんで普通に振る舞えなかったんだろうとモヤモヤしてしまいます。こんなに執着するなんて、人が好きなのか?とも思います。

今まで何年も社会人をやっていますが、雑談が苦手なため上司と仲良くなれず、結果アドバイスなどもあまりもらえず、「なんのために上司は、いるんだろう。ハンコだけ押してくれればいい」と思ってしまいます。あなたがそうだよと指摘されたわけではないのですが、「人をものとして見ている」と言う言葉にドキッとしたことがあります。父親に対しても、高校生くらいのときにお金さえ出してくれればいいと思っていたフシがあります。もっと小中学生の頃から寄り添って将来の進路、社会の仕組みなど一緒に考えてほしかったと思っていますが、よくわからないまま相談もできずにとりあえず勉強していました。書いていると、今も仕組み(仕事では何を評価されるのか、どんな振る舞いが適切なのか)を明確にはわからないまま、ずっと1人で頑張っている感じがします。自分が我慢すればいいと思うフシも小さいころからよくあります。
社会で1人で頑張るという生き方を変えたほうが楽になるのかもしれないと思いつつ、なかなか一歩が踏み出せません。プライドが高いほうかもしれません。根本先生のライフワークグルコンでは、かなりエネルギーが高いほう、とにかく働くことと言われたので、平和利用したいと思っています。
なにかアドバイスをいただければと思います。
よろしくお願いいたします。

(ひよこさん)

 

ひよこさん、こんにちは。

オランダ在住カウンセラー、コバヤシアキコと申します。

 

ひよこさんは、

(自覚はあまりないけど?)だいぶ賢くて個性的で楽しくて元気で面白い方なんでしょうか?

ご相談文から、そんな魅力が溢れているように感じまして、

お返事させていただきたいなと思いました。

 

私からは、

  • 「人嫌い」は、そもそもは「人が好き」?
  • 「なのに人が好き」は、「執着」も確かにありそう
  • ひよこさんがひよこさん「らしく」生きるには?

というポイントでお話しさせていただきます。

 

私のお返事はこちら↓です。お役に立てれば嬉しいです♡

 

ひよこさんの、「人嫌いなのに」の意味。

まずは、ひよこさんがご相談文で使ってくださった、

「人嫌いなのに人が好き」という表現の中でも、

「人嫌い」という言葉に反応するところから始めてみようと思います。

 

ひよこさんは、そもそも本当に人が嫌いだったのかな?というお話です。

 

ひよこさんは、

例えばこんな感覚↓があるところから、

「なんのために上司は、いるんだろう。ハンコだけ押してくれればいい」

「人をものとして見ている」と言う言葉にドキッとしたことがあります。

父親に対しても、高校生くらいのときにお金さえ出してくれればいいと思っていたフシがあります。

「私は人が嫌いなんだろうな」と判断していらっしゃる感じ、でしょうか?

 

これ、私は、

人とうまく繋がれなかった経験(そこでの寂しさ?)から、人を好きでいることを諦めた(ものとして見るようになった)、

という順番じゃないかなぁ?

なんて思ったのですよね。

 

例えば、

本当は、お父さんに、

もっと小中学生の頃から寄り添って将来の進路や、社会の仕組みなど一緒に考えてほしかったけれど、

それが叶わなかった体験とか、

いじめに加担したことを反省して改めたはずなのに、

周りにはあまり受け入れられなかった体験のお話を書いてくださいましたね。

 

そこには、

(今、意識に強くのぼるかどうかは別として、)

やっぱり、寂しさやら悲しさやらの感情があったんじゃないかなぁ、

と思うわけです。

 

で、その反動で、

「もう、人には繋がりを求めない。人は、嫌い。人は、もの。」

みたいな感覚に繋がったのかな?

と思ったのですね。

 

つまり、

ひよこさんは、本当は人が好きで、人と繋がりたい方なんじゃないかな?

(それが上手く行かなかった経験から、真逆の「嫌い」に振れた感じかな?)

と思ったのですね。

 

そんな風に言われると、どんな気持ちがするでしょう?

 

ひよこさんの、「人が好き」の意味。

そして次は、

「人嫌いなのに人が好き」の、「人が好き」の部分です。

 

ご相談文で、

こんなに執着するなんて、人が好きなのか?

と書いてくださったように、

この「人が好き」の部分には、「執着」もそこそこ含まれているようにも感じられます。

 

何に執着しているかというと、

無難にみんなに受け入れられること、とか、

そのためにも、一般的に受け入れられるような「普通」で「無難」で「常識的」な、

「普通の人」的コミュニケーションができること、とか、

でしょうか?

 

こんなところ↓は、

頑張って参加すると頬が赤くなったり

研修なのによく思われたいとか思ってしまって

「受け入れられたい!」と強く願って、一生懸命取り組んでいらっしゃることの現れじゃないかな?

と思うのですね。

 

(ちなみに、「発情してる」路線も、すごく可愛い面白くて私は大好きです!)

 

ただ、ひよこさんは、

そんな、「普通」に受け入れられる「普通の人」的コミュニケーションには、苦手意識があるかと思います。

(この苦手意識も、「人嫌い」の認識につながっているかもしれません。)

 

でも、苦手なままだと、ずっと受け入れられないままになっちゃう。

 

で、そこで、

それじゃダメなのに!
できなくちゃいけないのに!
でないと、いつまでも受け入れられず、独りぼっちのままになっちゃう!

みたいに、その執着が強化されがち、

なんて側面もあるのかもしれません。

 

ちなみに、この執着の背景としては、

やはり、書いてくださったような、思春期のいじめとその周辺の失敗感は、あるのでは、

と思います。

 

多くの思春期の子供にとって、

「自分もみんなと同じ、みんなの一員」として受け入れられていることの安心感て、

計り知れません。

 

「できなくちゃいけないのに!」という執着は、

そうやって「普通の人」的コミュニケーションができたら、

反省したことも認められて、晴れて自分も「普通の人」としてみんなに受け入れてもらえる、

という、当時のひよこさんの「願い」でもあったのかなぁ、

などと想像しました。

 

「なんで同じグループにいるかわからない」と聞こえるように言われたことは、

心の中に痛みとして残っている気はしますか?

 

今の意識の上では、「もうそんなに気にしてないけど?」という感覚のこともありますが、

もしかすると、そのあたりの記憶や感情を整理して癒していくことも、

ひよこさんの苦手意識やコンプレックスを解消し、

執着が含まれない、ひよこさんがもともとお持ちの、ピュアな「人が好き!」という思いをベースに、

ひよこさんご自身が一番快適なコミュニケーションや、人間関係を作っていく助けになるかも?

と思います。

 

・・・という感じで、

ここまで、「人嫌いなのに人が好き」の意味を考えてきました。

 

自分で自分がよくわかりません。

と書いてくださいましたが、

ご自身の理解として、こんな路線はどうだったでしょうか?

 

「普通の人」的コミュニケーションは、ひよこさんらしくない?!

というわけで、

ひよこさんは、どうやら、普通に人が大好きらしい!?

という路線でお話を進めてきましたが、

 

最後は、

だとしても、じゃ、どうやって人と繋がればいいのさ?

というお話です。

 

結局はやっぱり、

「普通」に受け入れられる「普通の人」的コミュニケーションが、

できるようにならないと、ダメなんでしょうか?

 

私はぶっちゃけ、

ひよこさんが、みんなと同じように、

  • なんかこう、空気を読んで、無難に振舞うとか、
  • 適度な距離感で当たり障りのない言葉を交わすとか、
  • 普通の人ならこんな時こういう表情や言動をすることが多い、ということをやるとか、

などの、

一般的に望ましくて分かりやすいとされるような、「普通の人」的コミュニケーションが、好きで楽しいのか?

というと、そうでもないんじゃ?

なんて思ったりしますが、どうでしょう?

 

客観的に自分を見るのは苦手

と書いてくださいましたが、

「普通の人」ならこうする、という判断基準を持つことや、それを自分に当てはめるのが苦手、

みたいな意味もあるかな、とも思います。

 

そんなところからも、また、ご相談文の全体的な雰囲気からしても、

私などは、

ひよこさんてほんとに独特の感性や個性をお持ちで、超面白い方なんじゃないかな?!

普通に、普通の人っぽく、普通の人の一員でいるようなコミュニケーションは、

もしかしたら、ひよこさん「らしく」ないんじゃないかな?!

なんて思うのですけども。

 

じゃ、どんな姿やコミュニケーションが、ひよこさん「らしい」のか?というと、

今、ご家族に見せている、

元気でノリノリで可愛くて楽しくてちょっと毒があって賢くて面白い、

そんな姿であり、コミュニケーションじゃないかなぁ、

なんて、私は思うのですね。

 

そんな姿が、ご家族の方は大好きなんでしょうし、

ひよこさんも、一番自然体でいられているんじゃないでしょうか。

 

ひよこさんは、

上司と雑談ができなくても、ハンコだけ押してもらえれば完了するレベルのお仕事ができているし、その能力があるし、

一般ピーポーにはにわかに理解しがたい世界観とか感性を、お持ちなんじゃないかと思うのです。

 

そこを受け取って、ひよこさん「らしい」自分を生きられるようになるほど、

「どんな振る舞いが適切なのか」に悩んで、失敗を恐れて縮こまることもなくなっていくし、

むしろ、その自然体(で、良い意味で突き抜けた姿)の方が、受け入れられやすくなるし、

自分を持て余している感覚もなくなっていくのではないかと思うのですね。

 

(自分を持て余す、というのは、

本来の自分よりもずっとちっぽけな「枠」に自分を押し込めようとしながら、

どうしたってそこには収まりきらなくて、苦しくなっている時に感じる感覚、

とも言えます。)

 

とっても応援しています♡

我らが師匠・根本がお伝えした、「かなりエネルギーが高いほう」というの、

ほんとにそうなんだろうなと思います。

ご相談文の端々からそんな雰囲気を感じます。

 

「とにかく働くこと」というところは、どんな意味なのか、もうちょっとお話をお聞きしてみたいですが、

確かに、

お仕事(や、家族)に、ひよこさんの元気で個性的で自然体のエネルギーをじゃんじゃん注いであげることは、

ひよこさんご自身や、周りのエネルギーの循環をどんどん豊かにしてくれると思います。

お金のめぐりとか幸せ感とか、いろいろですね。

 

ひよこさんが、そんなふうにご自身のエネルギーを平和&幸せ利用できますよう、

心より応援しております♡

 

よかったら、お手伝いさせてくださいね!

 

お読みいただき、ありがとうございました♡

コバヤシアキコ

 

今日の一枚。

(インスタグラムより)

夏らしい木陰。

これ、2年前の写真ですが、

この日はヨーロッパもすごく暑くて、

37度まで気温が上がったんですよ。

よく覚えています。

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